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「なぜ関西人は東京でも関西弁をしゃべり続けるのか?」という問いの深層にあるもの【こんな質問が来る 第5回】

社会学者の中井治郎さんが運用する「ジロウ」というX(旧Twitter)のアカウントには、匿名で質問を投稿できるウェブサービスを通して毎日50個以上の質問が届く。
ジロウがXに返答やリアクションを載せると、たびたびSNS上での「バズ」や時に「炎上」が起きる……

前回は、自分の感情が「甘え」なのか気になってしまう人たちについて考えました。
今回は、関西弁問題をめぐるお話です。
イラスト/みやままひろ
イラスト/みやままひろ

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関西人は何も捨てていないから「ズルい」

 たとえば、こんな質問が来る。

「なぜ、関西人だけが東京に来ても関西弁をしゃべり続けるのですか?」

 今回も勘のいい読者諸氏は感じ取っているかと思うが、この質問主は怒っている。つまり質問というよりクレームである。

 別に言語学的な好奇心に駆られているわけではないだろう。この人はきっとイライラしている。横柄な上司だろうか、デリカシーのない取引先の営業担当者だろうか。たぶん東京で暮らしながら、一度や二度ならず、たびたび関西弁話者に嫌な思いをさせられている人なのだろう。せっかく花の都に来てまで関西人に迷惑をかけられるなんて、かわいそうに、と思う。

 僕自身、先祖を何代遡っても大阪を出たことがない両親のもとに生まれ、45歳ではじめて正規の職を得て「上京」するまで、関西から出たことがなかった生粋の関西人である。それだからこそ、なのだろう。関西人に対するクレームは、うちの質問箱でも定番のお便りのひとつである。

 いわく、ボケとツッコミ、話にオチを求めるなど関西ノリを押し付けてくる、東京に変な対抗意識があっていちいち面倒くさい、デリカシーがない、すぐに威圧してくる、声が大きいだけでたいして面白くない、言葉が軽い、誠意を感じられない、しつこい、シンプルに迷惑……などなど。

 現在は東京で仕事をしている関西人である僕からすると、「そのとおり」というか、少なくとも「そう受け取られてしまうことは理解できる」ことばかりである。

 それにしても、いつ聞いても関西人への悪口は格別である。ガツンと効いて、眠っていたエネルギーが僕の中に湧き上がってくるのを感じる。

「関西人って面白いですよね!」などと、どうせ人生で1ミリも感じたことがないであろう完全フィクションの感想でおだてられる時より、血の通った悪口の方がずっと元気が出る。

 第一、彼らが面白いと思った「関西人」とやらはテレビで見る吉本芸人であって、二次会になるとやけに距離が近くなるお笑い通気取りの先輩や、いつまでも親しみとパワハラの区別がつかないフリをしてとぼけている職場の上司ではないのだ。

 自虐の快楽なのか、「なにくそ」と湧き上がる闘志なのか、理由は自分でもよくわからないが、エンタメ商品ではない平場の関西人への生々しいクレームはいつも僕に元気をくれる。

 このように関西人は文句を言われるとしょんぼりするどころか、逆に水を得た魚のように元気になって意気揚々と腕まくりなどしはじめるので、本当に迷惑なのだろうなと思う。われながら面倒くさい人たちだと思う。

 それにしても、なぜ関西人が関西弁をしゃべり続けることが首都・東京でこんなに嫌われるのだろうか。

 質問箱に届くたくさんのお便りに目を通して、たまにヤジを飛ばしたりしているうちに、東京でも関西弁をしゃべり続ける関西人に対するクレームの中に頻出するワードがあることに気がついた。「ズルい」という言葉である。そうか、「ズルい」のか。関西人のイメージから「怖い」とか「あつかましい」などは予想していたが、「ズルい」という発想は僕にとっては意外だった。

 東京で関西弁をしゃべり続ける関西人は何が「ズルい」のだろうか。

 たとえば福本伸行の漫画『カイジ』シリーズのスピンオフ『上京生活録イチジョウ』(原作:萩原天晴・漫画:三好智樹、瀬戸義明)第5話に、岡山県出身の上京者である主人公・一条の心境を語る、こんなナレーションがある。

「少なくとも一条は上京する折……捨ててきた……!岡山のノリ 文化……思想に至るまで……その全てを……!しかし…大阪出身にはいる…!上京したにもかかわらず……その全てを……何ひとつ捨てずに……持ってくる奴…!」

 そう、関西人は何も捨てないのだ。わが国において数えきれないほど物語にも描かれてきた上京の物語。すべてを捨てて、東京で一からやり直すという通過儀礼。それは多くの上京者にとって大なり小なり心細く辛い試練である。しかし、関西人だけが、その通過儀礼をパスして、履き慣れた靴のまま東京に上がり込むのである。

 たとえば関西人のよく使う言葉に、「東京弁」がある。つまり日本の多くの人が「標準語」と呼ぶ、あの言葉を、関西人は「東京弁」または「関東弁」と呼ぶ。関西人は、あの言葉を日本の「標準」だと認めていないのだ。あの言葉は東京という街がある関東という地方で話されている、ひとつの方言に過ぎない。それが関西で広く共有されている理解である。

 このように、さまざまな地方から東京に集まってくる人たちのなかで、関西人だけが「地元とは別の地方に来ただけ」と思っているし、そのようにふるまう。もちろん、どうやら嫌われているらしいことも承知のうえなのだが、そのような視線も、得意の「知らんがな」でスルーしてしまう。実にあつかましい。

 そう考えると、首都・東京の権威を受け入れ、地方出身者は自動的にヒエラルキー下位に組み込まれるという不利なルールを呑み、慣れない土地の言葉で「東京で嫌われない」ゲームを日々頑張っている人々からすると、たしかに「ズルい」のである。

 しかし、嫌われているといっても、東京ネイティブの人たちはもともと何かを奪われることなく東京で生活できるシード選手である。関西弁でしゃべり続ける関西人を「あつかましい人たちだよね」などは思っているだろうが(もちろん東京に暮らす人々の「苦手な都道府県」ランキング一位は大阪である)、彼らから「ズルい」という言葉が出てくることはあまりない(通過儀礼を免除されているという意味では、本当は彼らこそ「ズルい」わけだし)。

 ゆえに、その「ズルい」という何とも煮え切らない気持ちは、関西人と同じく上京者、または地方民でありながら、歯を食いしばって、多くを捨てること、また耐えることを強いられる人たちほど強いものとなる。

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新刊紹介

中井治郎

(なかい・じろう)
1977年、大阪府生まれ。社会学者。龍谷大学社会学部卒業、同大学院博士課程単位取得退学。著書に『パンクする京都』『観光は滅びない』『日本のふしぎな夫婦同姓』がある。

X(旧Twitter)@jiro6663

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