2026.3.26
横領金額14億円。その大半をひとりの女に貢いだ男の独白――世間を揺るがせた「アニータ事件」の知られざる真相!?
氏の趣味でもあるノンフィクション乱読から、読む者を異世界へといざなってくれる本をセレクトして紹介する書評連載です。
第4回は、坂本泰紀著『アニータの夫』を取り上げます。
「哀れな独身中年男」ではなかった
アニータ・アルバラード。ある一定の世代にとって、日本一有名なチリ人かもしれない。
ときは2001年。
青森県住宅供給公社の職員が14億円超を横領し、そのうち8億円を南米チリ出身の妻アニータに送金していたことが発覚した。当時、ワイドショーを中心に日本のメディアをジャックしたといってもいいほど大きく報道されたこの事件を記憶している人も多いだろう。
その頃、大学生だった僕は「すごい騒ぎだな」と感じていた程度だけど、それでも、14億ってどうやって? とか、そのお金をなにに使った? と疑問を抱いた。そして、日本のメディアに追いかけ回されていたアニータはいつも、少し困ったような、でも注目を浴びて喜んでいるような、不思議な微笑を浮かべていた――という記憶がある。
あれから25年後の今年1月。
業務上横領罪で14年間服役(2016年に出所)したアニータの夫、千田郁司の独白をもとにしたノンフィクション『アニータの夫』(柏書房)が発売された。そういえば、アニータという名前や彼女のビジュアルは今もおぼえているのに、逮捕された千田についてはまったくなんの印象も残っていない。
青森県住宅供給公社の経理担当という手堅く地味な仕事に就いていた男がなぜ、14億円を超える莫大な金額を勤め先から盗み出し、妻に貢ぐという理解しがたい行動に出たのか? その真相が知りたい。いきつけの今野書店に足を運ぶと、『アニータの夫』は異彩を放っていた。
余計な情報を一切そぎ落とした切れ味鋭いタイトルの表紙に描かれているのは、一目で「あ、アニータだ!」とわかる女性。帯には「青森14億円横領事件。『アニータ』に何もかも捧げた男」。アニータを知る人なら誰もが手に取りたくなるような装丁に唸る。
読み始めたら、もう止まらない。読了して、僕は勘違いしていたことに気づいた。それまで千田のことを「セクシーな南米の女性に手玉に取られた哀れな独身中年男」と思っていたのだが、そうじゃなかった。
千田も、怪人だった。
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珍しい構成
『アニータの夫』の著者は、朝日新聞記者の坂本泰紀。本書は2017年11月、岡山総局でデスクをしていた坂本が「椅子からずり落ちそうに」なるところから幕を開ける。出所後、岡山に住んでいた千田から、岡山総局に手紙が届いたのだ。その手紙には「やっと就いた仕事を二度も解雇され死活問題となっています」という苦境とともに、いまだに続くマスコミからの注目を収めるために、「誠意をもって真実をお話しします」と綴られていた。
「アニータ事件」の公判当時、青森支局で働いていた坂本は手紙に興味を引かれて千田に接触。100時間に及ぶインタビューを行って記されたのが本書である。
本書の前半は、千田が自身の半生や事件を振り返る独白で構成される「Side A」、後半は坂本記者が事件の舞台となった青森やチリを訪ね、取材を重ねる「Side B」という作りになっている。犯罪を扱う書籍は当事者の独白、もしくは取材者視点の場合が多いので、併記されているのはとても珍しい。
これは僕の勝手な想像だけど、千田の怪人ぶりを表すには「Side A」が不可欠だ。独特過ぎる感性や異常な行動の数々は、本人の口調で淡々と振り返ることでより奇妙さを増す。一方で、坂本記者も「小説より奇なり」と書いているように、千田の言動があまりに濃密で、読者が千田ワールドに置いてけぼりになってしまう可能性がある。
そこで読者を現実に引き戻すのが、千田の独白の合間に短く挟まれる坂本記者の注釈だ。大半は話の接ぎ穂ながら、読者が一息つく効果がある。なかには「飛んで火に入るチリのチダ」などクスっと笑えるものもあり、千田に幻惑されていた意識が晴れた。さらに坂本記者が本領を発揮する「Side B」を入れることで、読者は底なし沼のような千田ワールドから抜け出し、俯瞰できるようになる。
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チョロ過ぎるおじさんの涙
「Side A」は1997年3月、千田と青森のスナックで働きながら身を売るアニータの出会いから始まる。片言の日本語で打ち明けられる不幸な身の上話に、千田は「ぼろぼろ涙が出たよね」。僕はツッコミたくなった。「チョロ過ぎ!」。ウソか本当かもわからない話に泣いて同情するなんて、よっぽど女性に免疫がなかったのか……と思ったら、アニータと知り合った時点で、千田は二度の離婚経験があった。決してウブだったわけではないのだ。
兎にも角にも、千田はアニータの言うことならなんでも真に受ける。例えば、母国に子どもふたりを残して出稼ぎに来たというアニータを哀れに感じた千田は、チリに帰国するよう促す。その際、「日本に来る時に200万円の借金をしてパスポートを押さえられている」という話を聞いて、ポンと300万円を渡す。
横領の方法については、本書に詳しく説明されている。経理担当だった千田は勤め先である「青森県住宅供給公社」の一般企業とは異なる特殊な会計を操作することで、誰にもバレずに巨額のお金を動かすことができた。
アニータに出会ってから、千田の横領額は一気に膨れ上がる。意外だったのは、最初はアニータから求められたからではなく、自分からお金を与えていることだ。例えば、チリで家を買うお金を稼ぐために日本に来たと聞いていた千田は、アニータが帰国する日、空港で700万円を手渡す。きっと、そうする自分がかっこいいと酔っていたのだろう。
青森のどこにでもいそうなおじさんがなぜこんなに大金を持っているのか、アニータもビックリしたのではないだろうか? 同時に「いいカモを見つけた、絶対に手放さない」と決意を固めたのかもしれない。

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