2024.9.21
どこにでもある庶民のおかずの代表格なのに……かつて、から揚げは高級料理だった⁉
その時のものに近いようなから揚げには、鹿児島を離れて関西に出た後でも時たま出会うことになりました。やはり割烹や小料理屋さんのような、ちょっと上品な和食店においてです。その頃にはさすがに、そういう「上品な」から揚げの良さもちゃんと理解できるようになっていました。そして僕が料理人修業を始めてすぐに、和食の板前さんから教えられたから揚げも、まさにそういうものでした。
使われる鶏もも肉は、スジや余分な脂と皮は徹底的に取り除かれ、一口大、具体的には20g程度に切り分けます。これは現代の一般的なから揚げの半分程度のサイズです。味付けは塩をベースに少量の醤油とみりん。ニンニクも生姜も入りません。「そんなものを入れるのは下品だ」と教えられました。その代わり、そこにはたっぷりの日本酒が加えられました。その日本酒をすっかり吸い込んだ鶏肉を軽く握って丸く形を整え、片栗粉を満遍なく、ただしごく薄くまぶし、天ぷら鍋で揚げます。
油の中で鶏肉から出る泡が少し小さくなり始めたら、ここからが真剣勝負。菜箸から伝わる微妙な感覚で、揚げ上がりのタイミングを見極めるのです。これは「天ぷらと全く同じ」と教えられました。つまり、菜箸からチリチリと微かな振動が伝わり始めたその瞬間が、から揚げを引き上げるタイミングです。少しでも揚げすぎたら、小ぶりの肉からはあっという間にジューシーさは失われ、全てが台無しです。
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僕が初めてお店を一軒任せてもらったのは2000年ごろのことですが、その時のから揚げも、基本的にこれを踏襲したものでした。それは随分と評判が良く、来店客のほとんどがオーダーする名物のようになりました。ただしそこにもまたちょっと説明が必要です。当時の世の中のから揚げの大半は、今のようにおいしくありませんでした。大体が揚げすぎで、パサパサしていました。そんな中で、菜箸から伝わる微かな振動に全神経を集中して仕上げるそのから揚げには、それだけで価値があったのです。
しかしその後、10年くらいをかけて、世の中のから揚げはグングンおいしくなっていきました。まずはチェーン居酒屋のから揚げがおいしくなったと記憶しています。しっかり目の下味がつけられた大ぶりなから揚げは、外はカリカリ中はジューシーという、理想的なから揚げに近付いていきました。個人飲食店のから揚げも、やはりそういう方向で確実に進化していったと思います。それは夜のつまみメニューとしてだけではなく、昼のランチメニュー、すなわちご飯のおかずとしても人気メニューになりました。おそらく家庭のから揚げも、同様の進化を遂げたのではないかと思います。
そして最近は、スーパーの惣菜コーナーやコンビニなどの、つまり揚げたてではないという圧倒的に不利な条件下にあるから揚げすらも、しっかりおいしくなりました。さらに冷凍のから揚げはもしかしたら、最も進化の著しいものかもしれません。いや、昔はあれ、本当にマズかったですから!
その店の当時の常連さんは今でも、あの時のから揚げがおいしかった、と言ってくれますが、僕はそれはある種の思い出補正だとも思っています。今の世の中で突然あれを出したところで、特に味のインパクトがあるでなし、見た目は生っ白くて大きさも貧弱で、コロモのクリスピー感も薄い、パッとしないから揚げと思われるだけのような気がします。それを「一風変わった上品なから揚げ」と評価してくれる人も中にはいるかもしれませんが、少なくとも今のレベルから言うと、決して「普通」の域は出ません。
日本のから揚げは、いくつかの異なる系譜をルーツに持ちつつ、今や全国である種の「最適解」にたどり着いた印象があります。いつでもどこでもおいしいから揚げが食べられて失敗らしい失敗はまず無い、というこの状況は、明らかに食文化の成熟ですが、同時に画一化という名の微かな寂しさも感じます。
ですからチキンバスケットや割烹風のから揚げには、これからも然るべき場所で生き残ってほしいと願います。僕が子供時代に(運悪く)出会ったカチカチでしょっぱくて骨だらけの真っ黒に焦げたから揚げだって、今再会したら、もしかするとその尊さに気付くことができるのかもしれません。
次回は10/5(土)公開予定です。
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