よみタイ

焚き火マイスター 猪野正哉 専属モデルを経てモデル兼ライターに。そこから一転、引きこもり生活を送った30代 【実録・メンズノンノモデル 第5回 前編】

1986年5月9日に、女性ファッション誌『non-no』の男性版として創刊した『MEN’S NON-NO』。阿部寛さんなど俳優やアーティストを数多く輩出してきた同誌の創刊40年を記念して、本連載では、かつて専属モデルとして誌面に登場し、その後、様々なフィールドへと羽ばたいていった「メンズノンノモデル」たちの“現在”の姿と声をお届けしていく。常識にとらわれず、大きな変化をも恐れない彼らのしなやかな生き方から、先を見通しづらい現代を”自分らしく”生き抜くヒントを受け取ってほしい。

第5回は猪野正哉さん。19歳でメンズノンノモデルとなり、その後紆余曲折を経て40代で「焚き火マイスター」に。その異色のポジションと波乱万丈の人生から、「マツコの知らない世界」「激レアさんを連れてきた」などのバラエティ番組で話題になり、現在もYouTubeなどの出演多数。著書も3冊上梓するなど、「焚き火」を生業とする、そのユニークな生き様を振り返ってもらった。

取材・文/徳原 海  撮影/山田 陽

記事が続きます

何者でもなかったメンズノンノモデル時代の自分

 猪野正哉が「焚き火」を生業にしておよそ10年。“焚き火マイスター”というユニークな肩書きと波乱万丈とも言える人生から、テレビやYouTube等で話題になり、“元メンズノンノモデル”の経歴とともに今やすっかり定着したかのようだ。そんな彼のこれまでの道のりについてあらためて話を聞くべく、彼が撮影貸し出し専用として地元の千葉で運営する「たき火ヴィレッジ〈いの〉」を訪れた。

猪野正哉(以下、猪野) 焚き火もキャンプも登山も、元々アウトドアそのものにまったく興味がなかったんですよ。学生の頃はサッカーをやっていましたが、ワンダーフォーゲル部の子たちが校舎の壁を登ったりしながら練習しているのを見て「なんであんなことをしてんだろう?」と思っていたくらい。

 慣れた手捌きで淡々と薪を焚べながら、そうおもむろに語り始めた猪野。

猪野 でも、こういった(自然に囲まれた)環境で育ったので、子供の頃から知らず知らずのうちにアウトドアのスキルが身についていたんでしょう。田舎育ちのコンプレックスを払拭しようと東京に出たのに、今こうして焚き火で生計を立てているのも、振り返ってみると必然だったのかもしれません。思いのほか遠回りしました(笑)。

薪と鉈、炭ばさみなど。猪野の焚き火道具はいたってシンプル
薪と鉈、炭ばさみなど。猪野の焚き火道具はいたってシンプル

 “回り道”はまさしくメンズノンノから始まった。専属モデルのオーディションに応募したのは1994年、猪野が19歳の時のこと。当時はまだ「なんの目標もない普通の予備校生」だった。

猪野 付き合っていた彼女が冗談半分で応募してみたいと言うので、半ばノリで「いいよ」と。メンノンはもちろん知っていましたよ。お金がなかったので古着ばかり着ていましたが、ファッションは好きでしたので。

 すこぶる軽い気持ちで応募した「第9回メンズノンノモデルオーディション」が後の人生に大きな影響を及ぼすターニングポイントになろうとは、当然ながら想像もつかなかった。

猪野 応募書類を送ってからどれくらい後だったかは忘れましたが、ある日、ポケベルに知らない電話番号からの通知が入っていたので予備校近くの公衆電話に行ってかけてみたら、「メンズノンノ編集部」でした。書類審査が通って、次は編集部でオーディションがあると。元々モデルに興味があって応募したわけではなかったのでちょっと面倒だなと思いつつ、交通費として5,000円もらえると聞いて参加することにしました(笑)。僕以外の参加者はみんなすごく真剣でしたし、自分が受かるなんてまったく思ってなかったですよ。まあいい思い出になるな、くらいの感覚。だから選ばれたときは「あれ、どうしよう」と。もう家族もびっくりですよ。

オーディションを経て、晴れてメンズノンノモデルとなった猪野だったが、被写体としての心構えも何もないまま初めて臨んだファッション撮影で、真夏に真冬の服を着て撮影をするという雑誌特有のサイクルに、いきなり心が折れた。

猪野 真夏の猛暑のロケで分厚い冬服を着なければいけない、しかもそれが2日間続く撮影で、初日に大汗をかいて家に帰ったときには「もう無理、これはしんどいわ」と。今思うと申し訳ない気持ちしかないですが、2日目は体調が悪いとウソをついて休みました。

 その後、なんとか現場に慣れてはいったものの、撮影のたびに、プロ意識が高く表現力豊かな同世代の他のモデルたちに、どこか気後れしている自分がいたという。

猪野 当時は櫻田(宗久)くんに津野(貴生)くん、ユアン(・レイノルズ)ら、専属ではなく外部の事務所に所属するプロモデルたちと現場で一緒になることが多かったのですが、同じフィールドに立っているのにモデルとしての意識が全然違うなと思っていました。中でもいちばん印象に残っているのは、メンズノンノ専属モデルの先輩でもある谷原章介さん。専属だった時期は重なっていませんが、愛用の私物を紹介する特集の取材でお会いする機会があって、「世の中にはこんなにカッコイイ人がいるんだ」とただただびっくりしました。

メンズノンノ1994年10月号の第9回メンズノンノモデルの発表ページ(撮影:神尾典行)
メンズノンノ1994年10月号の第9回メンズノンノモデルの発表ページ(撮影:神尾典行)

専属モデルとしての在籍は2年と、短かった。しかし、当時の誌面を見返してみても、他のモデルと比べて決して見劣りはしていない。むしろバランスのとれた体型は、海外モデルにひけをとらないほど。当時の猪野に足りていない部分があったとしたら、それはおそらくパーソナリティ、さらに言うなら、モデルとして自分を高めようとする向上心だったのかもしれない。

猪野 メンノンでモデルをやっていた頃は、本当に何も考えていなかった。2年で専属契約が終わったときは「俺はこれからどうするんだろう」って途方に暮れもしましたけど、今思えば契約が延長されなかったのは当然だったというか。きっと、あの頃の自分は何者でもなかったのだと思います。

記事が続きます

1 2

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント

新刊紹介

徳原海

大阪府出身。メンズノンノ編集部でのアルバイト勤務を経て2006年からフリーランスの編集者として活動。メンズノンノ、UOMOなどの雑誌をはじめ、現在は様々なファッションブランドやスポーツブランドの広告ビジュアル制作なども手がける。著書に「パラアスリート谷真海 切り拓くチカラ」(集英社)、写真と文で綴った欧州フットボール紀行「the Other Side」(ブートレグ出版)など。

Instagram :@kai.tokuhara

週間ランキング 今読まれているホットな記事