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マーク・パンサー 「メンノンでやってこれたんだから大丈夫」というのは間違いなくあった【実録・メンズノンノモデル 第1回 前編】

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当時のモデル仲間たちと過ごした時間は決して忘れない

 そうやって、“笑顔がチャーミングなハーフのメンズモデル”という新たなジャンルを切り拓いたマークだが、同時代にメンズノンノ誌面に登場していた錚々たるメンバーとは、ライバルでありながらも今にも繋がる特別な関係性を築いていたという。

マーク 田辺(誠一)くんに谷やん(谷原章介)、専属ではなかったけど大沢(たかお)くん、あと松雪(泰子)ちゃんもメンズノンノ・ガールフレンドとして入ってきてね。みんな一緒に撮影して、よく遊びました。飲みに行ったり温泉に行ったり。田辺くんは若いときから自分の世界をしっかり持っていて、でもすごく仲がよくて。家に行くってなると大体が兄貴分の大沢くんち、みたいな。その頃からめちゃくちゃストイックで家にベッドとダンベルとギターしかない。でもすごく刺激を受けました。阿部さんは……みんなから「社長」って呼ばれてました(笑)。阿部さんってああ見えて天然なところがあって、かわいげのある大きな人みたいな感じで周りから愛されていましたね。いちばん僕のことを怒ってくれたのは風間さん。僕はとにかく遊んでいたから遅刻ばかりしていて、ひどいときは家までピックアップのロケバスが来ちゃったり。そういうときに厳しく叱ってくれるのが風間さんでした。

 当然ながら、当時は携帯もスマホもない時代。だからこそ仲間と一緒に過ごす時間そのものが、“彼ら”にとってかけがえのないコミュニケーションツールになっていたのかもしれない。

マーク みんな大体、三軒茶屋とか三宿近辺に住んでいましたし、いつもそこら辺界隈で盛り上がってました。ZESTとかモンスーンカフェなんかができ始めた頃でしょうか。夜中2時、3時でもお店に行ってみたら誰かしら飲んでるみたいな。原宿のオーバカナルにもよく行きましたね。そんな時代だったから、と言ったら当時の編集の皆さんには怒られるけど(笑)、何度注意されても飲んでいたし、遅刻してた。今思うと本当に迷惑かけちゃったな……。それでも撮影に呼んでくれていたのは、こいつが現場にいると楽しい、みたいなところもあったんじゃないかな。

メンズノンノ1990年8月号より。カジュアルなショートパンツの着こなし提案ながら、当時のメンズノンノのテイストであるトラッドのムードがしっかりと感じられるスタイリング(撮影:半田広徳)
メンズノンノ1990年8月号より。カジュアルなショートパンツの着こなし提案ながら、当時のメンズノンノのテイストであるトラッドのムードがしっかりと感じられるスタイリング(撮影:半田広徳)

 マークが誌面に登場していたのは、ちょうどメンズファッションのシーンそのものが大いに熱を帯び始めた頃でもあった。もちろん人々があらゆる情報を雑誌から得ていた紙媒体の“全盛期”ではあったが、その時代性を差し引いても、男性ファッション誌が月に30万部も40万部も発行されていたのだからすごいことだ。それだけの影響力がメンズノンノにはあった。

マーク 創刊から数年はバリバリのDCブランド全盛期で、その後アメカジ、渋カジブームへ、という流れが個人的にはいちばん好きでした。それこそ僕らが誌面でハリラン(※ハリウッドランチマーケット)のインディゴの洋服を着ると次の週には街中の若い男の子たちがそれを着ているみたいな。それくらいメンズのファッションが盛り上がり始めた時代でしたし、メンズノンノには街を景色ごと変えてしまう力があった。そこからバブルが崩壊し、ファッションの傾向はどんどんストリートスタイルに向かっていったけれど、メンノンだけはブレなかったっていう。それだけスタイリストやカメラマン、編集の人たちが芯のある仕事をしていたのだと思いますよ。

「メンズノンノに出ていた」ことが後の成長の糧に

 その後、マークはモデルと並行しながらMTVジャパンの初代VJを務め、1995年にメンズノンノモデルを卒業した後は、globeのメンバーとしてデビュー。メンズファッションにおけるアイコニックな存在から、瞬く間にお茶の間の人気者へと駆け上がって行った。それでも、彼の心から「メンズノンノ」の存在が消えることはなかったという。

マーク だってメンズノンノは月に50万部近く発行していた時期もあったわけで。だから、例えばglobe時代にDEPARTURES(1996年)のシングルが230万枚売れたことに対して「どう思いますか?」って聞かれても、「いやいやだって、僕はメンノンでやってましたから」って。あれだけの数の読者の目に触れていたから僕は緊張することなく数万人の前で歌うことができていたと思いますし、俳優として有名になっていった仲間たちも、もちろんみんなそれぞれ進んだ道で演技や舞台の勉強を必死でするんだけれど、いざっていうときの心構えとして「メンノンでやってこれたんだから大丈夫」というのは間違いなくあったと思いますね。

常に穏やかな笑顔を浮かべながらメンズノンノモデル時代の思い出を語ってくれたマーク。その表情からも、彼にとってかけがえのない経験だったことがうかがえる
常に穏やかな笑顔を浮かべながらメンズノンノモデル時代の思い出を語ってくれたマーク。その表情からも、彼にとってかけがえのない経験だったことがうかがえる

マーク それに、昔から僕は売れる、売れないをあまり意識していなかった。自分が楽しいと思えること以上に何かを求めるキャラではなかったので。「お前だけあの頃と変わらないよね」と今も周りから言われるのは、そこなんじゃないのかな。サーフィンに例えるなら、流れが変わったのならそれはそれで次の波のほうにパドリングしてみようかなっていう感覚。だからメンズノンノモデル時代の後半にMTV のオーディションを受けたのも、自然の流れというか。カメラマンさんから「マーク、もっと睨んで」とか言われるようになって、もう僕の笑顔が必要とされる時代じゃなくなったなら次へ行こうと。そうしたら英語が話せなかった僕がなぜか英語マストのMTVに受かっちゃった。でも、そういうものというか、結局入ってから猛勉強して身につけていく。globeにしても、音楽なんてやったことなかったのに小室さんから誘われて、最初はなんで選ばれたんだろうと思いながらも結果あれだけ楽しむことができましたから。

PROFILE
1970年2月27日生まれ。フランス・マルセイユ出身。2歳でモデル活動を始め、12歳で映画デビュー。1986年から1994年までメンズノンノ専属モデルとして活躍し、MTVジャパンの初代VJを経て1995年に音楽ユニットglobeとしてデビュー。主にラップと作詞を担当し、「DEPARTURES」をはじめ数々のメガヒットを生み出した。その後はDJやソロプロジェクトを展開しながら、教育分野では京都造形芸術大学、大阪芸術大学の客員教授を歴任。近年はInstagramを中心に「健康生活研究家」としての活動にも力を注いでいる。

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新刊紹介

徳原海

大阪府出身。メンズノンノ編集部でのアルバイト勤務を経て2006年からフリーランスの編集者として活動。メンズノンノ、UOMOなどの雑誌をはじめ、現在は様々なファッションブランドやスポーツブランドの広告ビジュアル制作なども手がける。著書に「パラアスリート谷真海 切り拓くチカラ」(集英社)、写真と文で綴った欧州フットボール紀行「the Other Side」(ブートレグ出版)など。

Instagram :@kai.tokuhara

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