2025.5.26
気がつけば結婚していませんでした 【第1回 負け犬盛りの寂しさ】
孤独な人だと思われたくない
この頃の私は、孤独感だけがつらかったわけではありません。「一人でいることは寂しいのだが、寂しいと思っていることは世間にバレたくない」とも思っていました。「孤独なんかじゃありません」という態度を保ち続けることもまた、地味に負担となっていたものです。
『負け犬の遠吠え』は、
「結婚していませんが毎日充実しているので、放っておいてください」
という強気な態度ではなく、
「負け犬なもので、寂しいんです。誰かいい人いませんかねぇ」
とお腹を見せた方が周囲は優しくしてくれるのではないか、という提案の書でもありました。それは自分自身に対する提案でもあり、誇り高き負け犬にとっては、それだけ「自分が孤独である」と表明することは困難だったのです。
同書には、可能であれば結婚したり、誰かと共に住んだりした方がいいのではないか、という気持ちも込められていました。が、その部分もまた、伝わりづらかった模様。
「結婚しなくても大丈夫なんだ、って元気が出ました!」
といった感想が寄せられることも多く、「本当はそういうことを言いたかったわけじゃないんだけど、元気を出してくれたのならまぁいいか……」と思ったものです。
私は、特に寂しがり屋というわけではありません。一人で行動するのは大好きだし、不得意でもない。
だというのに負け犬盛りの頃は時折、強い孤独感を覚えることがありました。
「今日は暑いね」
「これ、おいしい」
といった他愛もない言葉を交わす相手がいない時。盆暮れ正月にクリスマスといった、家族で過ごすことが是とされている時。耐えられないほどではないものの、少しずつ我が身を削っていくような寂しさを覚えたものです。
一方で、その気持ちを誰かに知られるのは、嫌でした。寂しがっている大人の面倒を見なくてはならない人もご迷惑だろう、という感覚があると同時に、「孤独な人だと思われたくない」という見栄もあった。「一人を楽しんでいます」「一人が気楽」という顔をしていたため、自身の孤独感をおいそれと漏らすことができなかったのです。
しかし昼下がりの公園では、その辺りの感覚が一気に溢れ出てきました。あの頃は、同世代の女性が子連れで芝生にいるのを見ると微妙な気持ちになったなぁ、とか。日曜日の午後に一人で公園に来るってどんな人なのかしらと思われるのでは、とも思っていたなぁ、とか。還暦も近づいて、あの頃のことを客観視することができるようになった私は、
「よしよし、他人からは理解されづらかっただろうけど、アナタもよく頑張っていたよ」
と、三十代の自分の頭をポンポンしてやりたくなった。
記事が続きます
あなたは負け犬なんかじゃないんだよ
時が経って今、晩婚化や、それに伴う少子化は、ますます深刻になっています。私が公園を一人で散歩していたのは、「晩婚化」は言われていたけれど、「非婚化」という言葉はあまり使われていなかった時代。
当時は、「結婚はほとんどの人がしたいと思っているけれど、様々な事情があって遅らせている人もいる」という認識がなされていました。だからこそ、
「ずっと一人だと、寂しくない?」
「結婚、しないの?」
といった、今となってはポリコレ的にNGな言葉を独身者にかける人も、まだ残っていたのです。
対して今は、「非婚化」が言われる時代。「皆が皆、結婚したいわけではない」という事実も知られるようになりました。目の前にいる人が「結婚したくない人」なのかもしれないと思えば、
「ずっと一人だと、寂しくない?」
とは、決して言えないように。
それは、私が負け犬盛りだった頃に求めていた〝気遣い″ではあるのです。
「結婚、しないの?」
「あなたは本当は負け犬なんかじゃないんだよ」
などと言われるのはうっとうしかったのであり、「ほっといて……」と思っていた。地方出身の友人の中には、盆暮れや法事の時に実家に帰ると、家族や親戚から結婚について遠慮のないことを言われるので、とうとう帰省しなくなった、という人もいましたっけ。
結婚問題について他人がおいそれと口に出すことができなくなった今は、昔と比べると「良い時代」ということになるのでしょう。しかしだからこそ、別の大変さも浮上してきた気がしてなりません。
まず、結婚するもしないも自己責任となったため、結婚したい人が結婚するまでの大変さが、さらに増大しているのではないか。
そもそも、元々は他人である者同士が家族になるという結婚は、かなり乱暴な行為です。子孫をつなぐという目標をどの家でも掲げていた昔は、だからこそ親がその難事業を請け負って子女の結婚相手を見つくろい、多少強制的ではあっても結婚させていたのでしょう。
ところが戦後、恋愛結婚が実質解禁状態となり(恋愛結婚が禁止されていたわけではないが、昭和初期の見合い結婚率は約七割)、恋愛結婚の率が見合い結婚の率を上回るようになると、個人の魅力や資質で相手を惹きつけ、結婚まで持ち込まなくてはならないようになってきます。
積極的に結婚する理由も見えづらくなり…
結婚に関する規範意識も、薄れていきました。恋愛結婚が主流となっても、「24歳までに結婚できなかった女性は売れ残り」という感覚が強かったりと、「人は皆、結婚するもの」という規範は残っていましたが、平均初婚年齢や生涯未婚率がじわじわと上昇するにつれ、結婚に関する様々な「ねばならぬ」感もまた、じわじわと解けていくように。
多くの人がしている、結婚。しかし自分で相手を見つけなくてはならず、「○歳までにしなくてはならない」といった規範も薄れたとなると、積極的に結婚する理由も見えづらくなってきます。
お見合い結婚が中心の時代、人はぼうっとしていても、いつの間にか結婚することになりました。親が敷いたレールに乗れば、途中下車などする余地はなかったのです。
しかし恋愛結婚時代は、レール無き時代。興味を惹かれるたびにしょっちゅう寄り道をしていると時間ばかりが経過して、結婚に到達しないこともしばしばなのであり、私もまたそのクチでした。親の時代の「放っておいても自然に結婚するのだろう」という感覚をどこかで持ちつつ自由に生きていたら、気がつけば結婚していませんでした、ということになったのです。
近年、「たとえ自分の子に対してであっても、独身者に結婚のことをあれこれ聞いたり、プレッシャーをかけたりするのはハラスメント」という意識が強まると、外圧もほぼゼロになります。「ほとんどの人が結婚しているのに自分はしていなくて焦る」といった同調圧力も、感じにくくなってきました。地方でその手の圧を感じている人も、都市部に出てくれば、すぐにプレッシャーは無くすことができるのです。
かくして日本は独身大国となったわけですが、その中で「本当は結婚したい人」は、一人で頑張らなくてはなりません。マッチングアプリも一般的になって、誰にも相談せずに婚活できるようになったものの、リスクを背負うのもまた自分だけ。
周囲は、何も言いません。内心では独身者のことをとても心配していて、本人がいない場所では、
「一人でいるのは心配だよね」
「誰か見つかるといいんだけど」
などと案じているけれど、本人の前でそんな様子は微塵も見せない。
そんな時代において、独身者はますます「寂しい」と言いづらくなった気がしてなりません。私の時代はまだ、見かねた親が結婚問題にカットインして見合いをさせたり、職場の人が心配して異性を紹介したりするといったケースが、微量ながらありました。いよいよ結婚したいのに相手がいない時は、誰かに泣きつくという手があったのです。しかし結婚が、家族や会社といった所属団体と切り離された個人の問題になると、〝団体″メンバーに弱音を吐いたり、助けを求めたりすることは不可能に。
結婚したくない人もいる、という認識が広がったことも、影響しているように思います。私のように、独身者は、本当は孤独を感じていても、「寂しくなんてありません」という顔をしがちなもの。現在の独身者の中にも同じような人がいましょうし、本当は結婚に魅力を感じていても、「私は結婚できないわけではなく、あえてしていないのです」と、非婚派に擬態する人もいます。
そんな人がますます本音を出しづらくなっているのが、今なのでしょう。既婚の友人には弱音を吐きたくないし、独身者同士でも、
「もう結婚なんてどうでもいいよね」
「今さら誰かと住むなんて無理!」
などと言い合っている手前、
「ゴールデンウィークとかお正月は、気分が落ち込んでしまう」
「頼れるものはお金だけ」
などとは言いづらい。
寂しさを表に出しづらいのは、独身者だけではないのだと思います。世の中には様々な理由から孤独感を抱く人がいますが、そんな人々は皆、迷惑をかけたくないとか、面倒くさいとか、プライドが邪魔をしてとか、様々な理由から「寂しい」と表明することをためらっているのではないか。
孤独と向き合う時間も、人間にとっては大切です。時には一人になることで成長する部分もあり、「孤独は素晴らしい」的な本も、世には多く出ているのです。
しかしその手の本を書いている人は、実はお金持ちかつ家族持ちだったりするのでした。いつでも非孤独に戻ることができる状況で、その手の人はレジャーとしての孤独を楽しんでいる。
対してそれほど恵まれていない人々は、人生が百年と言われている時代に、いつまで続くかわからない孤独の中で、揉まれています。結婚のみならず、様々なことが個人の責任で行われるようになった今は、誰もが寂しさを抱きながら寂しさを漏らさないようにと繊細な注意を払い、だからこそ溜まった孤独が時に暴発するのではないか。
なぜ私たちは、
「寂しい」
と言うことができないのでしょうか。そしてどうしたら、
「寂しい」
と言うことができるようになるのでしょうか。すぐ隣に人はいるのに深まり続ける孤独の理由と原因を、これからしばらく探ってみたいと思います。
^^^^^^^^^^^^^^^^
*次回は6月23日(月)公開予定です。
