2026.3.24
自分自身として生きたい……トルコに残した家族を思いながら、フィンランドで新しい人生を始めようとするクルド人のムハンマド(第5回 前編)
100年の歴史をもつこの場所で、元新聞記者の堀内京子さんはフィンランド語の教室に通いはじめました。
そこで出会ったのは、いろいろな国からそれぞれの理由で、この街へ来ることになったクラスメイトたち。
生まれ育った国を出る決断の背景には、どのような物語があるのでしょうか。
「ほぼ全員が(フィンランドの)外国人」という教室で交差した、ひとりひとりのライフヒストリーを紹介するルポ連載です。
今回は、クルド人のムハンマドの話をご紹介します。
第5回 クルドのムハンマド「国境は人間の頭の中にある」 前編
ヘルシンキに持ってきた醤油がなくなったとき、まずのぞいたのが近所の食材店「アジア&アフロ」。その組み合わせは「食材店 北陸&九州」くらいの違和感があった。どうもコンセプトは「フィンランドやヨーロッパ“以外”の食材」のようだった。その品揃えに、私は5年前に韓流の街の玄関口、新宿のJR新大久保駅に近い“イスラム横丁”で取材した店を思い出した。狭い店内に多彩な香辛料や調味料や乾物が並び、整然と積まれた穀類の大袋、冷蔵庫にはハラル認証のラムや牛肉。南アジアの歯磨き粉やアフリカの化粧品も――。そのときは、近所のスーパーで絶対に見かけないようなエキゾチックな品揃えにわくわくした。そして、その店とよく似た雰囲気のヘルシンキの「アジア&アフロ」では、お目当てのキッコーマン醤油もエスニック食材の一員としてしっかり並んでいた。
空港の入国審査や滞在許可証のオンライン申請などは、フィンランド(+EU域内)とそれ以外で分かれている。初めて外国に長期滞在することになった今は、醤油の立場が少しわかる気がする。フィンランドに住めばアフロもアジアもみんな同じ「それ以外」の外国人ということだ。そして、「それ以外」の人が集まるフィンランド語クラスのクラスメイトたちとは、慣れない言葉や生活の失敗や苦労を遠慮なく共有できて、連帯感を覚える。

フィンランド語のクラスで私は、トルコとイラクから来た2人のクルド人に会った。1年前に同じクラスになったのが30代後半のムハンマドだ。「僕はトルコのクルド人だよ」と人懐こい笑顔で言った。クルド人といえば、自分が高校生だった1988年に、フセイン体制下のイラクでクルド人の街が毒ガス攻撃を受けて多くの人が殺されたというNHKニュースの画面が記憶に残っていたので少したじろいだが、その笑顔に応えるのにちょうどいいニュースを思い出した。「最近、日本の大阪に住んでいる私の友だちがクルド語を学び始めたところなんだ!」と言うと、「それはすごいな。わからないことがあったら何でも聞いてって伝えてね」と言ってくれた。
いつか話を聞かせてもらえたらいいなと、早めに新聞記者だったと伝えた(第2回の後編参照)ところ、「記者? 危ない、危ない、君とは話せない」と笑顔が消えてしまった。クルド人は中東のトルコ、シリア、イラク、イランにまたがって住んでいて「国を持たない最大の民族」と言われている。ムハンマドの出身国のトルコではクルド人の独立をめざすクルディスタン労働者党(PKK)との関係が疑われるクルド人への弾圧があるという認識ではあったものの、以前、新聞記者だったというだけで警戒されてしまうのだなと思った。それで、それ以降は遠慮して休み時間にもあまり話しかけなかった。彼はフィンランド語がすでに上達していたが英語は話さず、私はフィンランド語が話せなかったというのもある。それが、あるとき親しくなったのは、フィンランド語がいっこうに話せるようにならない私を、一度「キエリカハヴィラ」(語学カフェ)と呼ばれる図書館の集まりに連れていってくれたからだ(あとからよく聞くと、ムハンマドは「ジャーナリストという仕事は、その職業の性質上、人を不快にさせたり刺激したりする可能性がある。そういう意味でリスクのある仕事だね」という意味で話していて、ジャーナリストを恐れたり偏見を持っていたわけではなかったのだそう)。そのうちに、フィンランドに来るまでの詳しい経緯は書かないという条件で、話を聞かせてもらうようになった。
「子どものころに住んでいた村は、みんな知り合いで。大勢の友だちがいて、いつもたくさん遊んで、幸せだった。家庭ではクルド語で、小学校で初めてクルド語と全然違うトルコ語を習った。クルドの人たちは友情が深くて親しみやすい。古い歴史や文化があって、お客が来たらたくさん食事を出してもてなすよ。小さい頃はトルコでクルド人が差別されているとは知らなくて、中学生のときに気がついた。赴任してきたイスタンブール出身の英語の女の先生が『東部の人は物を知らない』と言うんだよ。先生は大学を卒業していて、髪にスカーフもつけずに化粧をして美人なので、正しいことを言っていると思った。本当は僕らの親たちだって、知っていることはあったのにね」
「前は政治に関心があったけれど、今は政治のことは話したくない。それは自分には変えられないことだから。(クルドの)独立という言葉はロマンチックかもしれないけど、僕は国境が問題だとは思わない。EUには国境はないだろう? 文化も国境を越える。僕は、国境は人間の頭の中にあると思うんだ。それにもし仲が悪ければ、同じ家に住んでいても国境があるようなものだし」
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ムハンマドは自分を文化的にクルド人だと思っているが、「クルドだから」とひとくくりにして語られることは好まない。
「クルドだってトルコだって、何歳か、どこに住んでいるか、お金持ちか、家族、学歴、何が欲しいか、みんな違うでしょう? トルコで苦労している人の中には、クルド人もトルコ人もいるし。だからそうやって分けるのはちょっと意味がないんだよ」
彼は、大学を卒業して就いていた職をある事情で辞めることになり、養蜂家になった。トルコは世界で中国の次にたくさんの蜂蜜を作っているという。昔から養蜂に興味があったというムハンマドは、最初にいくつかのミツバチの巣箱を買い、その後数を増やして、最終的には20箱になった。巣箱一つにおよそ2万匹のハチがいて、彼は自然の中でハチたちが蜂蜜を作る旅を支えていた。
「ミツバチと働くのは、人と関わるよりも平和な気持ちにさせてくれた」と彼は幸せそうな顔で話す。
「ハチたちには完璧な分業があり、それぞれが自分の仕事に集中している。何か異常が起きてその仕組みを乱さない限り、すべては調和の中でうまく回っている。それに安らぎを感じられたんだ」
ハチたちを眺めながら、巣箱は一つの国みたいだなとムハンマドは思っていた。女王バチは(王座を巡って争う人気ドラマシリーズの)「ゲーム・オブ・スローンズ」みたいに闘う。そのあとハチたちは、新しい女王バチと一緒に移動していく。すべてのハチには仕事がある。「日本はどんな国かなと興味があったけど、ハチを飼っているときに、もしかして日本はこんな国なんじゃないかなと思っていたよ。平和な国なんでしょう?」
私はミツバチ、特に「働きバチ」には、せわしなく働き続けているというややネガティブなイメージがあったので、巣箱を例に日本をいい国だと言ってくれることに何と答えていいかわからなかった。「平和な国」なんでしょうと言われて、いま戦争をしていないという意味では平和なのだろうけれど、一人ひとりの生活となると「過労死」とか「受験戦争」とか「老々介護」とか「ヘイトスピーチ」とか……、平和とは言い切れないという思いもよぎった。日本にいい印象を持ってくれているのは伝わってきたので、私はあいまいにうなずいた。
養蜂をしていたムハンマドに、家族を置いて国を出る決断をさせたのは、2023年2月にトルコ南部とシリアで起きた大地震だ。救助隊の遅れや建築物の構造の問題もあり、およそ6万人もが犠牲になった。
「僕はお金もたくさんいらない。家族がいて、仕事があればそれでよかった。でも、地震でたくさんの人が助けられずに死んでしまって、自分がただの数字みたいに思えた。それまでに国を出ないといけない理由がたくさんあったけれど、それが最後の決め手になった」
ムハンマドは1年半で、ヘルシンキ労働者学校でやっているフィンランド語のクラスの初級から中級までのテキストを学びきって“卒業”した。何度も同じクラスをやり直していた私からみると、驚異の上達スピードだ。クラスが変わっても、顔を合わせると立ち話をしてくれていたムハンマドと学校ではもう会えなくなり、久しぶりに図書館で待ち合わせて会った。
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