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「行きなさい、戻ってこないつもりで」韓国を出る娘の背中を押した母(第4回 前編)

フィンランドの首都・ヘルシンキにある「ヘルシンキ労働者学校」。
100年の歴史をもつこの場所で、元新聞記者の堀内京子さんはフィンランド語の教室に通いはじめました。
そこで出会ったのは、いろいろな国からそれぞれの理由で、この街へ来ることになったクラスメイトたち。
生まれ育った国を出る決断の背景には、どのような物語があるのでしょうか。
「ほぼ全員が(フィンランドの)外国人」という教室で交差した、ひとりひとりのライフヒストリーを紹介するルポ連載です。
第4回は、韓国からやってきたイェジについて。

第4回 “勉強ばかりの暗い20代”を経て、フィンランドで看護師になった韓国人のイェジ(前編)

「どのくらいフィンランドにいるの?」
 ヘルシンキ労働者学校のフィンランド語クラスで、となりあった人に聞けば、答えは毎回違う。半年、2年、14年……。フィンランド人と結婚してやって来たばかりという人とか、戦争から逃れてとか、レストランで長年働いてきたけれど職場はフィンランド語以外を使っているという人とか。仕事をしながら合間に通う人たちも少なくない。時間帯も午前中、午後、夕方、オンラインのクラスがある。何年かぶりに勉強を再開したという人も、なかなか上達せずに何度も同じレベルのクラスを取っている私のような生徒もいる。そのせいで、私は余計に多くのクラスメイトに会えているのかもしれない。私が一緒に勉強した中で一番若い人は17歳、最年長は70歳だ。男女は半々ぐらい。
 看護師のイェジと一緒に勉強することになったクラスでは、東洋人は私とイェジの二人だけだった。初日、クラス全体での自己紹介で韓国出身だと分かったので、休み時間に「アンニョン!」とあいさつしたら、「日本の方だったんですね、はじめまして」とむこうからも笑顔で、しかも流暢な日本語がかえってきた。独学で学んだという彼女の日本語は驚くほど上手で、クラスの外では日本語で話すようになった。共通のアニメやドラマの話題があったし、彼女の笑顔やちょっと辛口なユーモアや、グループの会話練習では他の人にも目配りできるところ、熱心に勉強するところも好きだった。私が韓国の小説『82年生まれ、キム・ジヨン』に熱烈に共感したように、91年韓国生まれのイェジにも、日韓の女性として何か通じる感覚もあった。

ヘルシンキ労働者学校の廊下に貼ってある地図。かつての生徒たちの出身地にピンが留めてある。いまはさらに多国籍だ。撮影:堀内京子
ヘルシンキ労働者学校の廊下に貼ってある地図。かつての生徒たちの出身地にピンが留めてある。いまはさらに多国籍だ。撮影:堀内京子

 例えば、フィンランドの新聞に載っていた、フィンランドに暮らす韓国人女性リムさんについての記事を読んだとき――韓国の競争社会では美しければ成功する可能性が高いと信じられているが、顔や体形の美しさの基準が画一的で、整形は身近な選択肢の一つ。リムは韓国に帰るたびに『ダイエットしなきゃ』という気分になる。フィンランドではどんな服を着ていても、年配の人が紫色の髪をしていても誰も気にしない。笑顔がいいとほめられるフィンランドでの暮らしは幸せで、リムは今では自分のことを美しいと思っている。高校を卒業してカフェで何年か働き、大学にも行きはじめ、韓国では遠い夢だったCAになることだってできる(2024年4月13日のフィンランドの有力日刊紙「ヘルシンギン・サノマット」の記事)――、イェジは「悲しいけどこれが韓国の現実です。韓国も日本も、女性への美の要求が高すぎますよね。でもこのリムさんがフィンランドで自分の好きなことを見つけられてよかった」といい、二人でしみじみした。

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 それから2か月後、彼女と久しぶりに会おうと約束をしていた前の日に、私を落ち込ませる出来事があった。
 私が客員研究員として在籍していた大学の教授に、受け入れの1年延長を頼みに出かけたときだ。前もってメールを送っていて、次は2年間延長してくれるらしいというポジティブな噂も聞いていた。すっかり油断していたから、
「あなたの受け入れ契約の延長はしません」
と教授から告げられたとき、ショックで寒気がして体がガタガタ震え出した。
――今まで、何をしていたの? 論文は書いた? フィンランド語教室は、あなたの仕事ではないよね」
 私は、論文を仕上げるのは何年か後だと思っていたし、フィンランド語教室は研究テーマの「移民」にも関係あると思っていたと答えたが、教授が満足していないことは明らかだった。教授は怒っているように思えた。私は、教授にそれまでのお礼を言って、研究室を辞した。別の人から「英語が下手」と言われていると聞いて、さらに落ち込んで大学を出た。
 1か月後に荷物をまとめて帰国か……。以前、ビザの延長申請中に期限が切れ、不安でよく眠れなかった記憶がよみがえった。フィンランドに来てから無意識に、自分は何の資格で滞在しているのかをいつも気にしていた。逆に、私が日本にいたときは、日本に住んでいることに特に理由は必要でなく、いちいち「なぜ?」と聞かれないという“特権”を持っていたようなものだったのかと思う。
 その翌日に、たまたま久しぶりにイェジと会う約束をしていたのだ。私たちが以前に、日本や韓国では女性の外見についての要求が高すぎると嘆いていたことを思い出したように、「ちょっと皮肉なことに、今、私は韓国の化粧品を売る会社で働いています」と連絡をくれたのだ。彼女に会うのは楽しみだったが、ショックで前日から何も食べられず、幽霊のような気分で待ち合わせに出かけた。
「あと1年はいられると思っていたんだけど、教授がもう契約を延長できないって」
「えっ、それはショックですね~」
「誰かに、英語も下手だって言われてたらしい」
「ひどいですね!」
 客員研究員として置いてくれた教授は大恩人だし、いつもエネルギッシュで励ましてくれていたし、私の英語力不足は本当のことだ。だからこそ落ちこんでもいたのだが、そのときは、情けない私の側に立って、ためらいもなく憤慨してくれるイェジの言葉に救われた。
「もう一回、頼んでみたらどうですか」
「ううん、教授はすごく怒ってたからきっとだめだと思う。余計なことを言って、これ以上怒らせたくないよ」
「だって急にそんなこと言うなんて、教授も悪いでしょう」
「ううう、私が悪いから仕方ないんだよ……たしかに何の成果も出していないし」
 自分よりずっと年下のイェジには悪かったけれど、外国で、日本語で弱音を吐けるありがたみがこれほど沁みたことはなかった。涙が出てきた。
「そんなに自分を責めないで。私もフィンランドに来て大変でした」
「イェジちゃんはフィンランドに来るとき、怖くなかった?」
「韓国からフィンランドに来るとき、『神様があけてくれた道なんだから、ちゃんと責任取ってくださいね』って思いながら飛行機に乗ってたんですよ」
 私は思わず声を出して笑ってしまった。
「えっ、強気だね? 神様って、責任取ってくれたりするものなの?」
「そうですよ! 神様のせいですから」
 彼女が一人で、韓国からフィンランドに来たのは27歳のとき。フィンランドの大学の看護学部で学ぶためだった。学校では聞いたことがなかったイェジのそれまでの話を初めて聞いた。

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堀内京子

ほりうち・きょうこ
ライター。1997年から2023年まで新聞記者。退職し、現在は二人の子どもとヘルシンキに滞在。著書『PTAモヤモヤの正体』(筑摩選書)、共著に『徹底検証 日本の右傾化』(筑摩選書)『まぼろしの「日本的家族」』(青弓社) 『ルポ税金地獄』(文春新書)、朝日新聞「わたしが日本を出た理由」取材班として『ルポ若者流出』(朝日新聞出版)がある。

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