2025.12.9
未来の孫たちに知ってほしい「おばあちゃんは見て見ぬふりをしなかった」(第2回 後編)
私たちは別の日に、図書館で会って話したこともある。ターニャは、自分がロシアを出てから半年後に起きたウクライナ戦争についてずっと重い気持ちでいる。
「フィンランドに来てからとても幸せだった。2022年2月24日までは。でも今は、3年もの間、私が払ってきた税金が、私の生まれた国の政府によって武器として使われ、その武器が他の国の人々を殺し、他の国を破壊するために使われているなんて……」と彼女は声を詰まらせた。
「ウクライナ戦争は大きなことだった。オンラインで息子に勉強を教えてくれていたモスクワの大学教授が、私がロシアを出るとき言ったの。『よく決断したね。私は2014年(ロシアがクリミアを侵攻したとき)に国を出たいと思ったけど出られなかった』って。でもその教授もウクライナ戦争開始から2週間でロシアを出た。いま、大学から教授たちもどんどん周辺国や遠い国に出ていっている。先週もロシアに残っている2人の知り合いから、連絡がきたよ。子どもを通わせるには、限られた学校以外、大きな都市でも私立でも安心できない。すべての学校で、プロパガンダ授業と軍事訓練の授業が導入されているし、幼稚園でもプロパガンダが始まっているんだよ」
「ロシアから出られる状況にあった人たちの多くは、もう国を出たと思う。でも、全員にチャンスがあったわけじゃない。お金がなかったとか、高齢の親の世話があるとか、いろいろな事情があるから。そういう人たちは『内面的な亡命』をして生きていると思う。私は彼らを抱きしめて、力を分けたいと思ってる」
13歳でフィンランドに来た息子のサーシャは、フィンランドの小学校に編入し、フィンランド語集中クラスで1年学んで普通クラスに入った。半年後にウクライナ戦争が始まり、彼より後にウクライナから避難してきた子どもたちが入ってきた。彼らは友だちになった。クラスで、それぞれの出身国の国旗を書いて学校に持っていく宿題が出たとき、サーシャは「ウクライナの子はロシアの国旗を見てどう思うかな」と憂いていた。
そのフィンランドの小学校である日、フィンランド語クラスで学んでいたウクライナの子どもたちが、普通クラスに移っていたサーシャのところへ来て、訴えたという。
「サーシャ、サーシャ、先生が、ウクライナのことを悪く言うの」
それはサーシャたちの小学校で教えている、ロシア人のフィンランド語教師だった。サーシャはただちにターニャに伝え、そんなことは許せない熱血ターニャはもちろん学校に申し入れ、その教師はフィンランド語のクラスから担当が変わったのだという。
「ターニャ。鳥の鳴き声を聞いて平和に過ごしたいとか言ってたけど、フィンランドでも闘ってるんだねえ」と私が言うと、
「あ、やだほんとだ!」と笑った。
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彼女はフィンランドの統合プログラムでフィンランド語を学び、小学校の補助教員の実習を始めている。
「この仕事は楽しい。子どもたちが自分で考えられるような教育を受けているのを見るとうれしくなる。いま同じアパートにトルコ人の家族が住んでいるんだけど、父親は出ていってしまったみたいで、たまにその赤ん坊の世話もしているんだ。私のロシア人の友だちで、『このへんは移民が多いからいやだ』って言ってる人もいるんだけど、自分も移民なのにね。……私は、ここで生きていく。助け合っていくよ!」
「ターニャは、いろんな事情でロシアから出たくとも出られない人のことを『内面的な亡命をしている』って表現してたよね。彼らを抱きしめたいって。今のロシアでは、戦争に直接反対したり政府を批判したりすることで、逮捕されたり職を失ったりしている人がいるよね、そういう人たちについてはどう思う? ……ごめん、この質問はあまり良くないかもね、もし私があなただったら、どう答えていいか分からないと思う」と言葉を添えながら私は聞いた。
「私はそういう人たちや、その選択を尊敬してる。彼らはそれぞれに慎重に考え抜いた末の選択で、それ以外の行動はできなかったんだと、心から信じたい。例えば、アレクセイ・ナワリヌイのように。それは彼自身の選択だったし、私はそんな人を尊敬する」
「でも、私もロシアに帰ればどうなるか分からない。私は今でも、VKontakte(ロシアで最大級のSNS)で反戦の投稿を公開し続けてるの。多くの投稿では、バストルイキン(ロシア連邦捜査委員会の長官)など、政権に関わる人物の公式ページのリンクをはっているよ。彼らは政権交代の後、公職追放されるべき人々だと思うから」
「ロシアから亡命した反体制派や学者たちは、現在、FSB(ロシア連邦保安局)に管理されているVKontakteには何も書かない方がいいと忠告しているし、彼ら自身も使っていない。そういう人たちはたいてい、Facebookに意見を書いている。でも今、Facebookはロシアでは禁止されていて読めないんだよ。VPNを使っても制限があって難しい。だから私は、ロシアの一般市民に届けたいことなら、彼らが読めるプラットフォームで書くしかないと考えて、VKontakteに書いてるの」
即興劇のクラスでフィンランド語がうまく出てこず、もごもごしているターニャ。金髪に、仕立てのいいシックなデザインの黒いワンピースと小さなアクセサリーでエレガントにキメていると思ったら「これ、セカンドハンドの店で7ユーロだったんだよ!」とおちゃめに笑うターニャ。こんな強さを持っている人だったなんて……。わたしは彼女を抱きしめずにいられなかった。
「こんなことしてて、危険だと思う? これはね、私自身と私の子孫のためにやってること。自分が生まれた国、そして30年の間、高い給料から多くの税金を納めた国。その国が他の国で人を殺し、その国を破壊していたときに、『おばあちゃんは見て見ぬふりをしなかった。恐れなかった』と、私の未来の孫たちに知ってほしいの。政権が変わるまではロシアに戻るつもりはない。48年間暮らしてきた国だけど。私にとって、フィンランドで過ごしてきたこの3年半は、人生で一番幸せな時間だよ」
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先日、フィンランドに来て2度目の手術をしたターニャから、退院の連絡があった。「今度、ネパールの人からネパール料理を習う集まりがあるんだけど、一緒に行かない?」というお誘いとともに。彼女は病気にも、過去にもとらわれていない。何事にも偏見なく心を開き、好奇心を持って進む。もちろん一緒に行くつもりだ。
(連載の文中の肩書や組織、値段や為替レートなどはそれぞれ2025年の取材時点のものです)
第3回前編は12/23(火)公開予定です。
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