2025.12.9
未来の孫たちに知ってほしい「おばあちゃんは見て見ぬふりをしなかった」(第2回 後編)
100年の歴史をもつこの場所で、元新聞記者の堀内京子さんはフィンランド語の教室に通いはじめました。
そこで出会ったのは、いろいろな国からそれぞれの理由で、この街へ来ることになったクラスメイトたち。
生まれ育った国を出る決断の背景には、どのような物語があるのでしょうか。
「ほぼ全員が(フィンランドの)外国人」という教室で交差した、ひとりひとりのライフヒストリーを紹介するルポ連載です。
前回に続き、ロシアからやってきたシングルマザー、ターニャのお話です。
第2回 生活費3ヶ月分だけを持ってフィンランドへ。今もSNSで声を上げて闘うロシア人のターニャ(後編)
久しぶりにターニャに再会したのは、ヘルシンキ市中心部にあるシネブリュコフ美術館だった。
「いまのフィンランド語のクラスで、その日は美術館見学なの。先生に頼んでみるから、キョーコも一緒に来ない? 無料のフロアもあるから、もし先生がダメって言ったら、私も一緒にそのフロアだけ見て回ればいいし」
フィンランド語の授業ではたまに、大人の生徒たちも美術館や博物館を訪れる日がある。集合場所に行ってみると、いつになく遠慮がちなターニャがいた。「いまのクラスは、ウクライナから避難してきた人が多いから、どこか心の中で申し訳なく思って親しくすることが難しいと感じてしまうの」と話す。けれども、快く迎えてくれたフィンランド語教師もまた、ロシア人だった。
フィンランド語の教師はフィンランド人とは限らない。私もこれまで、ロシア人やエストニア人のフィンランド語教師に会ったことがある。ただ、戦争が原因でフィンランドに来たウクライナの人たちは、やっぱり複雑な思いで学んでいるんじゃないかなと思いながら美術館を巡ると、ロシアの古い絵画が多いことに気づく。シネブリュコフ美術館は、もともとロシア系の醸造家がフィンランドで成功して建てられたものなのだという。フィンランドとロシアのつながりを改めて想像させられた。

美術館を出て、2人でヘルシンキ中央駅まで歩き出したとき、ターニャのクラスメイトが「一緒に帰ろう」と、ターニャにロシア語で声をかけてきた。よかった、ターニャも今のクラスにも友だちがいたのかとうれしくなった。
ターニャはフィンランド語で答えて、私のことを紹介した。
「前のフィンランド語のクラスで一緒だったキョーコだよ。最初に会ったときキョーコは『アンナ・ポリトコフスカヤを知ってる?』って聞いてきたんだよ!」と大きな目を見開きながら説明した。
そう言われて、そんなことがあったと思い出したけれど、どうしてそんな紹介をするのかなと不思議に思った。
ロシア語で声をかけてきたオルガは、ウクライナ人だった。彼女はモスクワで10年間働いていて、ロシア人の友人も大勢いた。それが2022年2月のウクライナ侵攻が始まった後、全員が彼女を避けたり、「もう連絡してこないで」と言ってきたのだという。
「ロシアでは、ウクライナが戦争を始めたことになっていて、ロシア人の友だちはみんなそれを信じているの」と悲しそうに言った。失意の彼女は身寄りもないままフィンランドに移住し、仕事に就くためにフィンランド語を学んでいるそうだ。
戦争が始まってから、もう3年が経っていた。
「そういえば、今日はウクライナのゼレンスキー大統領が、トランプ大統領と面会するって何かのニュースで見たよ」と言うと、オルガは「え、知らなかった」という。私たちは3人、かたまりのようになって、雪と氷で覆われた公園をつっきっていた。「ニュースを見るのがつらいから、テレビやネットをあまりみてないんだ」。
「ウクライナ人といっても、それぞれここに来た理由とか、経緯が違うみたいだね」とかたわらを歩くターニャに言うと、
「ロシア人も同じだよ。フィンランドで出会うロシア語を話す移住者の中でも、今の体制がいやで出てきたとは限らない。プーチン大統領に心酔している人もたくさんいる。『政治には関わらない』と公言している人たちの中には、資金力で移住してきた人たちもいる。ウクライナで何が起きているかには関心がなく、自分たちの安全と快適さだけが大事。もしロシアがフィンランドを攻撃すれば、彼らはまた別の国へ逃げるだけだと思う。だから、私はロシア語話者に会っても、自分のことを話したり、深く付き合ったりすることには慎重なの」
もしかしてターニャは私のことを紹介するとき、それだからアンナ・ポリトコフスカヤの名前を出したのかと思った。アンナ・ポリトコフスカヤは、ロシアの独立系新聞社「ノーヴァヤ・ガゼータ」(編集長がノーベル平和賞を受賞した)の新聞記者であり、プーチン政権を批判していたジャーナリストであり、そして暗殺された。
ターニャはオルガに、「キョーコは親プーチンではないよ」と、言外に伝えようとしたのかもしれない。そういえば私も、フィンランド語のクラスで新しくロシア人と知り合って、もっとこの人と話したいなと思ったときには、早い段階で自分が日本の新聞記者だったことを伝え、職業的に尊敬するロシア人としてギリギリ無邪気に聞こえるように祈りながら、アンナ・ポリトコフスカヤの名を口にしていた。そもそも記者というものを好きじゃない人もいるし、そのときの反応で、話題をお天気やきのこ狩りに変えた方がいいと判断することもあるからだ。
記事が続きます
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