2026.2.1
ひとり、またひとり…ヒグマ襲撃の現場に眠る慰霊のプレート。北海道カムイエクウチカウシ山「八ノ沢カール」【山の名&珍プレイス 第3回後編】
本連載では、アウトドア雑誌や山登りの指南本、TV番組や各種イベント出演でもおなじみの山岳ライター・高橋庄太郎が、豊富な山経験をもとに、自分の足でわざわざ見に行く価値がある、こだわりの山の名スポット・珍スポットを紹介していきます。
昨年2025年はクマによる大小の事故が驚異的な頻度で起こりましたが、日本の登山の歴史を振り返ると、その恐ろしさと重大性で、もはや伝説となっているのが、3名の死者を出した「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」。55年以上も昔の話だというのに今でも繰り返し語られる壮絶な事故は、北海道カムイエクウチカウシ山の「八ノ沢」で発生したものでした。その前編に続いて、後編をお届けします。
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標高1550mに位置するボウル型に窪んだカールのなかで…

カムイエクウチカウシ山(通称カムエク)へ至る登山口のゲートの標高は約490m、そこから札内川をさかのぼった八ノ沢出合は約680m。標高差は200mに満たず、距離は約9.4㎞だ。一方、八ノ沢カール中央部の標高は約1550m。八ノ沢出合から急激に標高は上がるのに、距離は約3.6kmしか離れていない。つまり、八ノ沢出合から八ノ沢カールまでは極端な急傾斜だ。しかも、一般的な山のように整備された登山道はなく、なによりここはヒグマの生息地。カムエクが日本百名山、日本二百名山のなかで、1、2を争う難易度の高さだとされているのも道理であろう。


ともあれ、悲劇の舞台である八ノ沢カールまでは自分の足で歩き、登っていかねばならない。この沢沿いのルートは非常に険しく、よほど山慣れした方でもなければ、体力的に厳しいだけではなく、非常に危険だ。事件当時、救助隊やハンターもこのルートを使わねばならなかったのだから大変なことである。なお、遺体は八ノ沢から搬出せず、現地で荼毘に付している。


さて、やっとのことで到達した八ノ沢カール。さすが北海道だけあって現代でも雪深い場所だが、数万年前にはここに氷河が横たわっていたわけである。しかし初夏には雪が融け、緑の草原で覆われている。
その中央部に横たわっているのが、横から見ると三角形で、上面はわりとフラットな大きな岩だ。そして、その岩の側面には金属のプレートがはめられている。これこそが「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」の慰霊プレートなのである。後述するようにこの岩を中心とする一帯が大惨劇の中心地なのだが、きれいな清水が流れている小さな沢もあり、太陽の光を浴びたカールの姿から過去の暗い大事件は想像もつかない。平地もあってテント泊が好きな僕には絶好のキャンプ適地にしか見えず、実際このときもテント泊を行なう準備をしているソロの登山者に遭遇した。それにしてもこんな場所でひとり夜を過ごすとき、いったいどんなことを考えるのだろう。


改めてプレートに刻まれた言葉を転載しよう。
「高山に眠れる御霊 安かれと 挽歌も悲し 八の沢」
「昭和四十五年七月二十六日 芽室岳より縦走中 羆に斃れる」
1970年、5人グループの福岡大学ワンダーフォーゲルは長期の夏山合宿地として日高山脈を選び、7月14日に行動開始。山脈の北側に位置する芽室岳から南下し、幌尻岳を経て25日にはカムエクの山域に入り、八ノ沢よりも北にある九ノ沢カールにテントを張った。
夕方にはヒグマと初遭遇。このヒグマはすでにどこかで人間の食料の味を覚えていたようで、外に置いておいたキスリング(昔のバックパック)を荒らされ、食料を食べられる。この日の夜には、ヒグマの鼻息がすぐ近くから聞こえ、テントを爪で引っかかれて、こぶし大の穴を空けられた。翌朝にはテントを倒され、5人のうち2人は救助を求めて、いったん下山。他のメンバーはヒグマを避けながらカムエク山域を移動し始める……。



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