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死者3名、生存者2名。ヒグマによる大惨劇の現場 北海道カムイエクウチカウシ山「八ノ沢カール」【山の名&珍プレイス 第3回前編】

登山といえば、目的地はやはり山頂? いや、山頂以外にも目指すべきおもしろい場所はたくさんあるのです! それは、怪奇現象が起きる不思議な場所だったり、ユニークな逸話がある名所だったり、見たこともない大木や不思議な形をした巨岩だったり……。
本連載では、アウトドア雑誌や山登りの指南本、TV番組や各種イベント出演でもおなじみの山岳ライター・高橋庄太郎が、豊富な山経験をもとに、自分の足でわざわざ見に行く価値がある、こだわりの山の名スポット・珍スポットを紹介していきます。

ヒグマ、ツキノワグマによる重大事故が驚くほど多発した2025年。あまりに怖すぎて、登山などしている場合ではないと考える人は多いことでしょう。じつは“登山者”がクマに襲撃される事件は意外と少ないのですが、過去へさかのぼって見てみれば、やはり山岳史に残る大惨劇は発生しているのです……。今回も前編と後編に分けてお届けします。

バナー・本文写真/著者提供

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現場は「日本百名山」に選ばれなかった名山、通称“カムエク”

「高山に眠れる御霊 安かれと 挽歌も悲し 八の沢」
「昭和四十五年七月二十六日 芽室岳より縦走中 羆に斃れる」

 これは北海道・日高山脈カムイエクウチカウシ山の「はちノ沢カール」内の大岩に打ち付けられた金属製プレートに刻まれた言葉だ。福岡大学ワンダーフォーゲル部が昭和46年(1971年)に設置し、平成16年(2004年)に修復したもので、山中で「ヒグマたお」されてしまい、「三君ここに眠る」とも記されることになった3人の名前もそこにはある。それぞれ18歳、19歳、20歳で、ちょうど大学1年、2年、3年生に当たる若者だ。

 今回取り上げるのは、この「八ノ沢カール」。日本の登山の歴史のなかでも伝説的な大事件として知られる「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」の中心地である。

 なお、本連載のタイトルには「名プレイス」「珍プレイス」という言葉が入っているが、恐ろしい悲劇が起きた八ノ沢カールには「名」という言葉も「珍」という言葉も本来は不適切だとは思う。しかし、軽い気持ちでこの場所を紹介するつもりはなく、昨今のクマ問題に警鐘を鳴らすためであることをお伝えしておきたい。

北海道 知床で撮影したヒグマ。幸いなことに僕は日高山脈でヒグマと至近距離で遭遇したことがまだない。そのために今回の記事内で使ったすべてのヒグマのカットは、僕が数十年通い続けている知床のものだ
北海道 知床で撮影したヒグマ。幸いなことに僕は日高山脈でヒグマと至近距離で遭遇したことがまだない。そのために今回の記事内で使ったすべてのヒグマのカットは、僕が数十年通い続けている知床のものだ

 さて、北海道の脊梁せきりょうともいわれる日高山脈は、日本最大規模を誇る大山脈だ。同山域でもっとも有名なのは日本百名山の幌尻ぽろしり岳だろうが、おそらくそれ以上にコアな登山者に憧れと同時に恐れを抱かせているのは、「伝説の大事件」で知られるカムイエクウチカウシ山である。この山は、山名が長すぎて言いにくいこともあり、通称「カムエク」として知られている。

 偶然にもこの山名はアイヌ語で“ヒグマが転げ落ちる場所”という意味を持っている。たしかに、太古に氷河で削られてボウル状に窪んだカール地形に囲まれた山頂部は急峻も急峻で、登山道はつけられているものの非常にワイルド。誰もが簡単に登れるような山ではない。

 ちなみに、この山は「日本百名山」ではなく、「日本二百名山」に選ばれている。「日本百名山」を選定した作家、深田久弥氏は“自分が登ったことがある山”から100座をピックアップしたため、あまりに奥深い場所にあって登ることどころか、見たことすらなかったカムエクは選びようがなかったのだ。しかし、“もしも深田氏が当時登っていれば、間違いなく選ばれていたであろう”といわれる隠れ名山の筆頭であり、後年に日本二百名山を選定する際には無事に加えられているのであった。

八ノ沢カールからさらに登った稜線から見上げるカムエク。犠牲者はヒグマの襲撃を避けるべく、この山の山頂を踏むことすら諦め、必死で逃げまわった
八ノ沢カールからさらに登った稜線から見上げるカムエク。犠牲者はヒグマの襲撃を避けるべく、この山の山頂を踏むことすら諦め、必死で逃げまわった

ひとたび足を踏み入れば、撤退は困難、大山脈の中央部

 では、八ノ沢カールはカムエクのどこにあるのか? この山は日高山脈の稜線が小さく“く”の字型に曲がる位置にあり、ヒグマによる襲撃事件の中心地となった八ノ沢カールはその“く”の辺が直角に曲がって狭くなった部分に当たる。稜線を東側に一段落ちた場所ともいえ、その窪んだカール内から水が流れ出し、これが八ノ沢となっているわけである。標高はだいたい1550mほどだ。

 登山口から見れば、八ノ沢カールはカムエク山頂の手前とはいえ、登山口からの距離に加え、高低差も相当なものである。登山口からのたんなる山頂往復だけでも一般的には2泊3日程度の計画を立てねばならず、途中に山小屋のような人工の建物も一切ない。この連載の前回で紹介した高天原たかまがはら温泉は日本最奥の温泉だったが、八ノ沢カールもそれに匹敵するほどアプローチ困難なスポットだ。

一般的な登山口は山脈の東側に当たる<ruby>中札内<rt>なかさつない</rt></ruby>村。中途で建設を断念した日高山脈を横断する道路の名残で、かなり奥まで林道を利用できる
一般的な登山口は山脈の東側に当たる中札内なかさつない村。中途で建設を断念した日高山脈を横断する道路の名残で、かなり奥まで林道を利用できる
林道が終わると札内川を何度も渡渉しながら先へ進む。橋はなく、増水時に流されて登山者が溺死することもある
林道が終わると札内川を何度も渡渉しながら先へ進む。橋はなく、増水時に流されて登山者が溺死することもある
登山ルートは森の中も通っているが、あまり整備されておらず、ただの踏み跡やまるで獣道のような区間が長い
登山ルートは森の中も通っているが、あまり整備されておらず、ただの踏み跡やまるで獣道のような区間が長い

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高橋庄太郎

たかはし・しょうたろう
山岳/アウトドアライター。1970年宮城県仙台市生まれ。高校の山岳部で山歩きを始め、出版社勤務後の2年間の無職時代には国内外のアウトドア旅へ。その後フリーランスのライターとなり、ウェブメディアや雑誌を中心に執筆活動を続けている。近年はイベントやテレビへの出演も多く、アウトドアギアのプロデュースも手掛けている。著書に『テント泊登山の基本テクニック』(山と渓谷社)、『トレッキング実践学』(ADDIX)、共著に『“無人地帯”の遊び方』(グラフィック社)など多数。

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