2020.4.13
皆がコロナと闘う今、夢枕獏から届いた緊急メッセージ〜【静かに、しかし強く、なお強くこみあげてくるもの】
何度かのやりとりを経て、このあまりにも強い意志とメッセージ力を持つ原稿は、瞬く間にその夜には完成を見た。
「拡散していいよ!」という夢枕氏の言葉からFacebookにアップされ、今は氏のオフィシャルHPにも掲載されている。
「共感どころの話じゃねえぜ」とはその編集者の談。
数々の名作、名文を生み出し、我々の心を揺さぶり続けてきた大作家からのメッセージを、よみタイからも改めて全文お届けします。
もしも、共感して、心が動かされて、少しでもパワーになれば幸いです。
もしかして我々も今、スタート地点に立たされているのかもしれないーー
【静かに、しかし強く、なお強くこみあげてくるもの】〜夢枕獏
心の中に湧きあがってくるものがあるのである。
原稿を書いていても、窓から外を眺めていても、それは湧きあがってきて、消えない。怒りと言えば怒りなのであるが、その半分は哀しみのようなものだ。
それは、うまく表現できないのだが、
「馬鹿だなぁ、人間は……」
という思いのようでもある。
「愚かだなぁ、人類は……」
というあきらめのようでもある。
もちろん、この“馬鹿”と“愚か”の中には、ぼく自身も入っている。
人は馬鹿で、愚かで、つい保身に走りたくなる。自分が可愛い、そういうものでできている。だから、できるだけ、人の愚かさを愛そうと努めてきた。許そうと努めてきた。当然ここには下心もある。
だから、ぼくの馬鹿や愚かも許してねという下心である。けっこういやらしい。
こういうことや、これから書くようなことは、あまり声高に発言するものではないとも、ずっと考えてきた。小説の中に書くことはあっても、このような文章で書くというのは、うまく言葉にならないということがわかっているし、誤解も生みやすく、うまく伝える自信もなく、これまでためらいがあったのである。
しかし、この湧きあがってくる思いがなかなか消えない。
小説を書くことや、日常生活の中に、夾雑物のように入り込んできて、消えない。なんだか苦しい。
書いてしまえば、多少は楽になるかもしれないと考えて、原稿用紙のマス目に、下手な丸っぽい字を埋めながら、今、この文章を書きはじめたところなのだ。
ぼくは、かつて、何度か国家と戦ったことがある。
正確に書いておけば、戦っている人たちの端っこの方に混ぜてもらって、ささやかな発言をしてきたくらいなのだが、たとえば、意味のないダム建設に反対する運動などを、何度かお手伝いしたことがあるのだ。
具体的に言えば、長良川の河口堰建設に反対したことであり、川辺川ダムの建設に反対したことであり、四国の吉野川の河口堰建設に反対したことである。その他いくつか。
こういう運動は、時間と精神とエネルギーをとられるだけで、得られる果実はあまりに少ない。
このような運動は、そもそも選挙の票をどれだけ持っているかどうか。一国の政治をひっくり返すだけの票を、その運動が持っているのかいないのか。そういう力を持たない運動は、無力に近い。
一票は重いと言ったのは誰だ。一票はあまりに軽い。その軽い一票に、かなしいことに我々はすがらねばならない。すがるしかない。これまで、どれほどの無力感にさいなまれようと、この軽い一票を投じ続けてきた。
原発についてもそうだ。
原発はいかがなものかと、昔も今も思っている。なら、ダムでいいのか。化石燃料でいいのか。太陽光発電、風力発電でよいのかというところで、いまだぼくは答を持っていないのだ。その理由や細かいことを書けばきりがないのだが。原発のことでいえば、どれだけ理屈や理論で大丈夫と説明されても、一番不安なのは、それを管理するものが人間だからである。
人間が不完全だからだ。
資本主義は、お金を神にした一神教となりはてているし、共産主義だって、似たようなものだろう。これはもう、資本主義がいかん、共産主義がいかんという話ではなく、それを運用するのが人間だからいかんのじゃ、というミもフタもない結論になるしかない。
人間は愚かである。
自分の身は守りたい。
言いわけ大好き。
このぼくもそう。
当然政治家もそう。
答えがない。
これはもう、ただただ仕事をして、釣りをすることを、自分の善として生きてゆくしかないんじゃないの。
どうなのよ。
ぼくにはわからない。
六十九歳になったが、今もわかんない。
世の中のことのおおかたは、答えがない。正解もない。そのくらいはわかる歳にはなったが、自覚できたのは、自分の愚かさのみである。
ああ──
ひたすら小説だけを書いていきたいのだが、今回ばかりは、しみじみと何ものかがこみあげてきて、こんなクソな言いわけをしつつ、この文章を書き出したのである。
コロナウイルスのことだ。
紀元前555年から548年にかけて、古代中国の斉という国に荘公光という王がいたのである。
宰相が崔杼というやり手の政治家だ。
この崔杼が、荘公光を殺して、自分の言いなりになる荘公光の息子を新しい王とした。
これを太史が、
「崔杼、荘公を 弑す」
と書いた。
太史というのは、簡単に言ってしまえば国家の記録がかりである。歴史官といってもいい。
「弑す」
というのは、目下の者が目上の者を──つまり、臣下が王を殺すという意味の言葉だ。
すると崔杼は怒って、
「書きなおせ」
と命じたが、太史は、
「できません」
顔をあげてこう答えたのである。
それで、崔杼はこの太史を殺してしまった。
次の太史となったのは、殺された太史の弟である。この弟もまた、
「崔杼、荘公を弑す」
と書いた。
それで崔杼はまた、この弟も殺してしまった。次の太史となったのは、一番下の弟である。この一番下の弟もまた、
「崔杼、荘公を弑す」
と書いた。
これで、ようやく、崔杼はあきらめたというのである。
このこと、司馬遷の『史記』にも書かれている。
もとネタは、さらに昔に書かれた『春秋左氏伝』に記されている。
かつて、中国においては、これほどに『公文書』というものは重いものだったのである。
なんのことか、わかるよな。
「がんばっている」
「よくやっている」
は、子どもにかけてやる言葉だ。
がんばったことで、許され、称讃されることは、もちろんある。
格闘技であれ、スポーツであれ、敗者にかけられる言葉は、まず、ない。
それでも、我々は、言う。
泣きながら言う。
「よくがんばった」
「よくやった」
これは、しかたがない。
周囲は本当にそう思っているのだ。
誰かを応援するということは、その誰かに自分の人生の一部をあずけることである。だから、応援している者が敗れると、深い喪失感を味わうのである。
しかし、しかし、しかし──
政治は違う。
政治は別ものだ。
「よくがんばっている」
「よくやっている」
でも戦争になってしまいました、はない。
政治は結果だ。
結果が全てだ。
コロナ問題もそうだ。
感染症と闘うことができるのは、医療と政治しかない。
その政治が、今、何をやっているのか。
政治家として、きちんと闘っている人間は、わずかだ。
何故、多くの政治家が沈黙しているのか。
細かいことは、ここでは書かないよ。
今後、コロナのことで死ぬ人が出てくれば、それは政治のせいであると思う。
その政治や、政治家を作ったのは、我々だ。
このぼくだ。
ぼくは、今、六十九歳、高齢者である。
高血圧、糖尿病だ。
身体はよれよれだ。
感染すれば、命があやうい。
ぼくは、仕事と、釣りと、友人と、そして家族によって生かされている。
困った時は、仕事と釣りにすがって生きてきた。
今のところは、無事だ。
書くべき仕事、書きたいものは、山のようにある。
もう一回、虫に生まれかわっても書いてゆきたい。
今の感触で言えば、書くことで原稿料をいただくようになって、四十数年、やっとこの歳になって、スタートラインに立ったような気がしている。これまでの人生はこれのための準備期間だったとわかる。
これから、やっと、書ける。
ようやく、考えていたこと、やろうとしていたことに手をつけられる。
そう思えるようになった時には、もう七十歳が目の前だよ。
人生なんて、そんなもんだ。
志村さんも、そうだったろう。
どれほど無念であったろう。
いいか、書いておくぞ。
ちゃんと見ているからな。
誰が何を発言したか、どんな目つきをしていたか、忘れないからな。必ず覚えておくからな。
もしも、この命ながらえたら、次の選挙の時、おぼえてろよ。
二〇二〇年四月十二日