2023.11.8
「家族の幸福の最大化という難題に取り組む一助になる一冊」――作家・外山薫さんが読む『中受離婚』
子どもは無事に合格したものの、受験期間のすれ違いから破綻してしまった3組の夫婦について、「夫」「妻」「子」それぞれの立場から語られる衝撃のセミ・フィクションを、ロングセラー『息が詰まるようなこの場所で』(KADOKAWA)などの著作がある、作家・外山薫さんが読み解いてくださいました。
何故、子供の幸せのために始めたはずの中学受験で、夫婦仲が破綻してしまうのか
我が子には幸せになって欲しい――。程度の差こそあれ、親であれば共有できる感覚だろう。誰だって、好きこのんで子供に苦労をさせようとは思わない。餌を与え、外敵から保護し、目の前の障害物を取り除く。人間に限らず、多くの動物に本能として組み込まれているそれは、極めて普遍的なものだ。
しかし人類が動物としては異例の進化を遂げ、社会が複雑化する中、我が子の幸せを思う愛情が逆に作用するケースも増えた。我が国において、その最前線が中学受験だ。不確実な時代、せめて子供の将来の選択肢を増やしてあげたい、少しでも良い環境を与えてあげたいという親心が暴走し、子供の心を傷つけるという話は枚挙にいとまがない。
教育熱が過熱の一途をたどる中、著者のおおたとしまささんは数多くの著作を通じて中学受験ブームに警鐘を鳴らしてきた。中学受験で問われるのは子供の能力だが、親のサポートが求められる側面が強い。本来、子供を守る側であるべき親が当事者となって受験にのめり込むことで、子供が逃げ場を失ってしまう例を紹介した本は受験生の保護者向けの「教科書」としてベストセラーにもなっている。
「中受離婚」という刺激的なタイトルからも分かるように、本書は親と子というこれまでの枠組みから一歩踏み込み、母と父の関係に焦点を当てている。受験がきっかけで家庭が崩壊した3家族のストーリーを父視点、母視点、子視点で描いたものだ。プライバシーを保護するためにセミ・フィクションとしているが、中学受験に関わったことのある人間であれば少なからず既視感がある、「あるある」が詰まっている。
何故、子供の幸せのために始めたはずの中学受験で、夫婦仲が破綻してしまうのか。3編のストーリーを通じてまず浮かび上がってくるのが、親の多大な負担だ。宿題の丸付け、大人でも解けないような難問の解説、過去問のコピー取りにお弁当作り。その膨大なタスクはとても仕事や主婦業の片手間にできるようなものではない。作中で描かれる、睡眠時間を削ったり生活に余裕を失ったりと何かを犠牲にする様子からは、ストレスがかかっているのは子供だけではなく、伴走する親も同様であることがわかる。
加えて、費用面の問題もある。一般的に、中学受験には小学4年生からの3年間、塾代だけで300万円程度かかると言われている。日本人の給与所得者の平均年収が500万円に満たないことを考えると、その負担の重さは想像にたやすい。最初は子供を応援するつもりではじめたのに、いつしか値段相応の結果を求める「投資」になってしまうというのも、よく聞く話だ。
また、夫婦の価値観の違いも描かれている。中学受験が当たり前という環境で育ってきた人間と、そんなことは考えたことすらない文化で育ってきた人間が同じ方向を向くのは容易ではない。地域性、学歴……地雷は至る所に埋まっている。ただの夫婦生活であれば徐々に価値観を擦り合わせていくことも可能だが、中学受験には小6の2月というタイムリミットがある。衝突により一度歪んでしまった関係を、無我夢中で走りながら修正していく作業は困難を極める。
そして最大の問題は、試験を受けるのが自分ではなく、子供だという点だ。好きこのんで漢字を覚え、計算式を解く小学生というのは少数派だろう。小学校高学年という、思春期の入り口に立った極めて不安定で揺れ動く存在を適切な方法で正しい方向に導くは容易ではない。ましてや偏差値や合否可能性といった数字が毎月のようにアップデートされるのだ。心を鬼にして叱責することで成績が上がれば、それが成功体験になってしまう。受験産業と私立中学校が共犯関係となって長年かけて築き上げてきたシステムを前に、平常心を保ち続けることができる人間は決して多くない。
家族の幸福の最大化という難題に取り組む一助になるだろう
もちろん、雨降って地固まるという家庭も多いだろう。しかし、中学受験のすそ野が広がり、参加する家族が増えるにつれ、これまで語られなかった暗い面に注目が集まりつつあるのもまた事実。離婚まで踏み切る例は極端だろうが、親子間に、そして夫婦間に何かしらの傷が入るケースは少数派ではないはずだ。
本書を物語として捉えたとき、決して救いがある話ではない。登場する3家族とも、中学受験がなければ違う結末があったのかもしれないと思わせる後味の悪さすらある。しかし、「教科書」として非凡なのが、これをただの物語として消費するのではなく、各章ごとにおおたさんが分析と解説を加えている部分だ。
子供へのアプローチ方法についての解説、ジェンダーバイアスを巡る問題提起、心理学の理論に基づく分析。どれも長年中学受験と家族の問題を追ってきたおおたさんにしか書けないもので、読み終えたときに本は付箋だらけになっていた。
繰り返しになるが、我が子の幸せを願わぬ親などいない。中学受験はあくまでその手段であり、目的ではないはずだ。難問に取り組む小学生が授業や宿題を通じて入念に準備するように、その親も事前の準備として「勉強」が求められる時代だ。家族の幸福の最大化という難題に取り組むにあたり、本書はその一助になるだろう。
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