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『立川志の輔独演会〜おかえり気仙沼2025〜』へのプライベート旅で志の輔師匠を直撃。「来年も来られるように1年をすごそうと思わせてくれる落語会です」

昨年11月に発売した『海と生きる 気仙沼つばき会と気仙沼漁師カレンダーの10年』(以下、『海と生きる』)。

書籍の中心となった「気仙沼つばき会」(以下、「つばき会」)さんは漁師カレンダー作り以外にも様々な活動をしているが、そのひとつが、落語家・立川志の輔さんを招いての独演会。今回は『海と生きる』の著者・唐澤和也さんが、『立川志の輔独演会〜おかえり気仙沼2025〜』を、この独演会を楽しみに全国から気仙沼にやってくるファンのひとりとして、プライベート自腹旅へ。幸いにも志の輔師匠の計らいで、公演前に少しだけ話も聞かせていただいた旅ルポをお届けします。

(文・撮影/唐澤和也)
東北新幹線のファンキーな配色にも負けぬ派手なバック類は筆者のもの。なぜに、そこそこの荷物量かといえば、2泊3日ののんびり気まま旅だったから。
東北新幹線のファンキーな配色にも負けぬ派手なバック類は筆者のもの。なぜに、そこそこの荷物量かといえば、2泊3日ののんびり気まま旅だったから。

AIが見せてきた気仙沼の旅

最新AIの進化に驚かされていたのは、地元の駅から東京駅を目指している時のことだった。6月20日金曜日10時37分発の新幹線「やまびこ57号」で目指すは気仙沼。旅の目的は落語だ。立川志の輔さんの独演会を聴くために気仙沼へ行く。自腹で。しかも、ぶらりと2泊3日で。仕事ではなく完全なる趣味の旅。

「最高じゃないですか!」と、朝からほくそ笑んでいたその時、携帯が「気仙沼の旅」と題して写真を次々と表示してくるではないか。最新のAIはユーザーのご機嫌まで読み取るのか? 一瞬ぎょっとしたが、よく考えればただの偶然。勝手に写真がまとめられただけの話だ。

なのに、朝から恥ずかしくなったのは、写真の偏りだった。「福よし」の焼き魚に「中華そば まるき」のラーメン(残念ながら現在は閉店)、「鶴亀食堂」の定食に「喫茶マンボ」のイチゴババロア。「ごはんばっかりじゃん!」とツッコミたくなる食いしん坊な内容だった。でも、この街を一度でも訪れたことがある人なら、気仙沼ってそういう街だよねと賛同してくれるはずだ。

はじめて気仙沼を訪れたのは2015年のことだった。2024年版まで10作が刊行された「気仙沼漁師カレンダー」(以下、「漁師カレンダー」)のライターを担当したご縁で、何度もこの街を訪れてきた。加えて、2024年11月発売した書籍『海と生きる』の執筆を担当。この本の取材でも漁師さんはもちろん「気仙沼つばき会」メンバーの声を聞くために気仙沼への旅を重ねた。「つばき会」は女性だけのグループで、女将さんや女将さん的ポジションの人が数多く在籍するけれど、移住者やクリエイターなども属する自由でしなやかな集まりである。

振り返れば、いままでの気仙沼旅は仕事だったので、「漁師カレンダー」のプロデューサーや、書籍の担当編集がすべてをアテンドしてくれていた。けれど、今回は違う。ライターになる前にコントの劇団で裏方をしていた頃からずっと好きなのが笑いだ。コント、漫才、そして落語。それぞれのジャンルにさまざまな才人が存在する日本って素晴らしいと思う。志の輔さんもまた当代きっての落語家であり名人だ。チケット発売日の3月21日に即購入。宿を押さえ、ぶらり旅のプランを練った。

数日前の天気予報が嘘のような快晴だった旅行1日目の気仙沼。港をぶらりと散歩したあとで、居酒屋「ぴんぽん」へ。漁師さんが教えてくれた名店だ。
数日前の天気予報が嘘のような快晴だった旅行1日目の気仙沼。港をぶらりと散歩したあとで、居酒屋「ぴんぽん」へ。漁師さんが教えてくれた名店だ。
気仙沼でも撮影された映画『サンセット・サンライズ』の大きな看板を目にしたのは、偶然にも1日目の夕暮れ時(サンセット)だった。
気仙沼でも撮影された映画『サンセット・サンライズ』の大きな看板を目にしたのは、偶然にも1日目の夕暮れ時(サンセット)だった。

糸井重里と気仙沼と立川志の輔

公演当日の6月21日土曜日。朝食を済ませて気仙沼の街を歩いていると、あちこちに『立川志の輔独演会〜おかえり気仙沼2025〜』のポスターやチラシが貼られていることに気づく。まるで気仙沼の街角をジャックしているかのよう。

主催は「つばき会」だ。とはいえ、彼女たちが最初からこの落語会を主催していたわけではない。震災直後から気仙沼に支社をつくっていた糸井重里さんと「ほぼ日」が、2012年に始めた「気仙沼さんま寄席」。すべてはこのイベントから始まっている。

きっかけは、気仙沼市長から糸井さんへの相談だった。「東京・目黒で開催される『目黒のさんま祭り』の予算が震災の影響でままならない」。それを受けて糸井さんが考えたのが「全国の人たちがわざわざ気仙沼まで来たくなるような落語会を開いて、みんなで働いて、さんま代を稼ぎましょう」というアイデアだった。ポイントは、被災地の慰問ではないということ。もちろん、慰問は大切だけれど、気仙沼の人たちにこそ「人を迎え入れる側の楽しさを味わってもらいたい」と糸井さんは感じたのだそうだ。

ただ、決してアクセスがいいとは言えない気仙沼に「この人の落語を聴きたい」と全国から人を呼べる落語家なんて、そう多くは存在しない。糸井さんには意中の落語家がいた。そのオファーに「よくぞ私に声をかけてくださった」と快諾したのが立川志の輔さんだったというわけである。

朝食は「つばき会」メンバーが立ち上げた「鶴亀食堂」へ。メニューが増えていて感動。悩みに悩んで「おかえり定食」に。気仙沼は「おかえり」という言葉が似合う。
朝食は「つばき会」メンバーが立ち上げた「鶴亀食堂」へ。メニューが増えていて感動。悩みに悩んで「おかえり定食」に。気仙沼は「おかえり」という言葉が似合う。
今回の旅はぶらりかつ気ままなものであったが、唯一己に課したのが、街にある『立川志の輔独演会』のポスターを撮影しまくるということ。しまくった結果の一部がこちら。
今回の旅はぶらりかつ気ままなものであったが、唯一己に課したのが、街にある『立川志の輔独演会』のポスターを撮影しまくるということ。しまくった結果の一部がこちら。

会場である気仙沼市民会館に開場時間の12時よりもかなり早めの11時過ぎに到着したのには、「つばき会」の様子を見てみたかったからだ。すると、偶然にも「つばき会」が開演前のミーティングをしているところにでくわした。
「もうね、全員野球!」
「漁師カレンダー」をいっしょに作っていた「つばき会」のメンバーが、独演会開催の舞台裏をそんなふうに表現してくれた。その言葉からバタバタの極みだったのだろうなぁと想像したが、みんなが楽しそうで〝わっしょい感〟が漂っていた。

会場をぐるりと歩いてみる。来場者への配慮なのだろう。段差注意の張り紙があちこちにある。市民会館の一室が観客やスタッフ向けの臨時の託児所になっていて、すでに子どもたちがキャッキャと遊んでいた。物販スペースには、「つばき会」が交流を続けている能登の特産物も並ぶ。売り上げの一部は能登への寄付にあてられるそうだ。

ミーティング中にもかかわらず、こちらに気づいてくれた「つばき会」のみなさん。
ミーティング中にもかかわらず、こちらに気づいてくれた「つばき会」のみなさん。
会場には交流のある能登の物産コーナーがあり、「オレもいそいで買うべ!!」というPOPに「つばき会」らしいユーモアが。筆者も〝いそいで〟購入させてもらいました。
会場には交流のある能登の物産コーナーがあり、「オレもいそいで買うべ!!」というPOPに「つばき会」らしいユーモアが。筆者も〝いそいで〟購入させてもらいました。

ひとつの質問から生まれた19分11秒

実は、会場に早めに到着したのには、もうひとつ別の理由があった。プライベートな旅とはいえ、こんな機会はない。ダメ元でオファーしていた志の輔さんのインタビューが、まさかのOKとなっていたからである。「5分でも10分でもありがたいです」との依頼だったが、開演前の控え室で、その願いが実現する。朗報を聞かされた瞬間は小躍りしたが、秒で現実に戻り嫌な汗がにじんだ。その時間だと質問は2問か3問限度。しかも、大切な本番前。いったいどんな質問を用意すればいいのか。

先述の「気仙沼さんま寄席」は、さんまの不漁という事情などもあり、2015年の3回目を最後に幕を閉じていた。その後、2016年と2019年に「志の輔らくご in 気仙沼」と名を変え開催。

そして、2022年から気仙沼での「立川志の輔独演会」として再び火を灯したのが「つばき会」だったのだが、彼女たちに落語会の興行経験などない。なにをどう用意すればいいのか? そんな彼女たちの素朴な質問に志の輔さんはこう答えたそうだ。

「着物を着替える場所と、高座といって高い台があり、そこに座布団だけあればいいです」

なんて粋なんだろう。そのやりとりを事前に聞いていた僕は、質問をひとつに絞った。あの頃の気仙沼と、「つばき会」との関係について、あらためて振り返ってもらえますか、と。

開演前の控え室で、志の輔さんが、ゆっくりと言葉を探し始めた。

「糸井さんとはじめて気仙沼に来た時も、結局、つばき会さんがまわりのことを全部やってくださっていたんですよね。主催者だからどうとかもなく、私のなかでは変化がないんです。振り返るというのなら、やっぱり、2012年のことですね。落語家になって30年ほどたっていたと思います。高座にあがって、流暢にしゃべるのが落語家の仕事なんですが、開口一番なんという言葉から始めたらいいのかと悩んだのは、おそらく気仙沼だけでしょうね。落語会の前に糸井さんといっしょに気仙沼の高台にあがって被災の全貌を見て、言葉を失って。結局、『なにから言えばいいんだろうということを考えたはじめての落語会です』と最初に言うことになったんです」

2025年6月21日の気仙沼を安波山より。安波山は気仙沼を一望できる高所に位置しており、「漁師カレンダー」の歴代写真家たちもここからの定点写真撮影を欠かさなかった。
2025年6月21日の気仙沼を安波山より。安波山は気仙沼を一望できる高所に位置しており、「漁師カレンダー」の歴代写真家たちもここからの定点写真撮影を欠かさなかった。

「落語のことで言えば、私は新作も古典もやりますけど、自分のなかに100ほどの噺があるとすれば、いまの気仙沼でこの落語はやれないなというのも当初はありましたから。それがだんだんだんだん……いや、これだったら聴いてもらえるんじゃないかっていう幅が広がっていって。それはイコール復興が進んできているということ。しかも、昨年びっくりしたんですけど、能登の方が会場においでになられていたんですよ。気仙沼と能登とでつながって、お互いにがんばりましょうという。それって、全国から訪れてくださった落語のお客様に、能登の方のことも意識してくださいねと気仙沼の方が伝えているわけですよね。暗黙のうちにね。そういうすごい考え方を気仙沼の方が持てるようになった。今回も能登の物産が販売されていましたが、そんなロビーの様子を見ていると、本当に特別な気持ちになるんです」

結局、質問はひとつだけだった。けれど、そんなたったひとつの質問から、19分11秒も言葉を紡いでくれた志の輔さん。それは、インタビューという名のもうひとつの独演会だった。

「つばき会」メンバー&関係者と気仙沼のマスコット・ホヤぼーや&立川志の輔さんの素敵な一枚。(写真提供/気仙沼つばき会)
「つばき会」メンバー&関係者と気仙沼のマスコット・ホヤぼーや&立川志の輔さんの素敵な一枚。(写真提供/気仙沼つばき会)
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新刊紹介

唐澤和也

からさわ・かずや●1967年、愛知県生まれ。 明治大学卒業後、広告代理店勤務を経てフリーライターに。
単著に『負け犬伝説』『マイク一本、一千万』(ともに、ぴあ)、 企画・構成書に、爆笑問題・太田光自伝『カラス』(小学館)、 田口壮『何苦楚日記』(主婦と生活社)、 森田まさのり『べしゃる漫画家』(集英社)などがある。

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