2024.12.26
シリア、三つの懸念【佐藤賢一緊急寄稿】
シリア反政府勢力は首都ダマスカスに侵攻を開始、十二月八日にはアサド大統領がロシアに亡命。喜びに沸き立つシリア市民が映し出され、大統領の銅像が倒されたり写真が焼かれたりする報道が流れた。これにより、二〇一一年から続くシリア内戦は終焉、平和がもたらされるのか。西洋歴史小説の第一人者、佐藤賢一さんによる緊急特別寄稿!
シリア内戦は、ようやく終わりと告げたと報道されるが……
二〇二四年十一月、シリア反政府勢力は首都ダマスカスに侵攻を開始、十二月八日には大統領バッシャール・アル=アサドが、ロシアに亡命した。二〇一一年に始まったシリア内戦は、ようやく終わりを告げた──と連日の報道は飛び交う。しかし、これは本当の大団円なのか。
バアス党による独裁政権の崩壊は確かだ。これまでの反政府勢力が、新しい政権を打ち立てることも間違いない。しかし、それでシリアに真の平和と安定がもたらされるかといえば、首を傾げざるをえないのだ。
それというのも、すぐさま湧き上がる懸念がある。内紛が起こるのではないか、イスラム主義の政治はうまくいくのか、諸国の介入が続くのではないか、の三つである。
反政府勢力はシリア解放機構だけではない
内紛が起こるのではないか
一口に「反政府勢力」といわれるが、これがシリアでは元から一枚岩ではなかった。二〇二四年の攻勢を主導し、アサド政権崩壊後には、ジャウラニ指導者の下、新しい政権の樹立に動いているのが、シリア解放機構(HTS)である。内乱勃発時にアル・ヌスラ戦線と称した組織が、アンサール・アッ=ディーン、ジャイシュ・アッ=スンナ、リワー・アル=ハックなど他の組織と合同し、シリア北西部イドリブ県を拠点に活動してきたものだが、反政府勢力はこのシリア解放機構だけではないのだ。
他にもシリア解放戦線(シリア自由人民イスラム運動)、ISIL(イラク・レバントのイスラム国)、そしてクルド人民防衛隊と名前が挙がる。これらは反アサド政権、反独裁政治の歩調は共有しながら、内乱においては互いの勢力争いも熾烈に繰り広げてきた。
それらがシリア解放機構が建てる新政権に参加し、でなくとも、それを支持する可能性もなくはない。シリア解放戦線なら、あるいは手を取り合えるかもしれない。が、ISILとなると、難しいように思う。そもそもがイスラム国、つまりはシリアの枠を超える超国家の建設を標榜しているからだ。さらに難しいのがクルド人民防衛隊で、こちらはシリアからの独立、少なくとも自治権の獲得を求めている。シリア解放機構は取りこみを公言しているが、うまく折り合えるかは不透明で、また仮にクルド人民防衛隊が受け入れても、詳しくは後述するが、近隣諸国が介入する恐れがある。そうした諸々の事情から、反アサド政権、反独裁政治の内乱は終結しても、新しい政権を樹立するに際して内紛が起こり、最悪の場合それが再度の内乱に発展する懸念は、なお拭えないのである。
イスラム主義の政治そのものは、一方的に否定できるわけではないものの…
イスラム主義の政治はうまくいくのか
イスラム諸国にままみられる政治の図式として、世俗主義とイスラム主義の対立がある。それはシリアも例外でなく、アサド政権が反発されたのは、抑圧的な政治もさることながら、その世俗主義が嫌われたからなのだ。実際のところ、反政府勢力とされてきた団体は、クルド人民防衛隊を別として、いずれもイスラム主義の政治を志向している。教義でいえばサラフィー主義、ないしはサラフィー・ジハード主義を奉じ、まさにアメリカが「イスラム原理主義」と呼び捨てる、つまりは過激派である。シリア解放機構、シリア解放戦線ともに、かのアル・カーイダに出自を有し、現在は関係ないと自身はアピールするものの、アメリカも、国連も、未だ「テロ組織」の指定を外していない。
とはいえ、それは必ずしもフェアな見方ではない。少なくともイスラム主義の政治そのものは、一方的に否定できるわけではない。それはイスラム法(シャリーア)に基づく政治のことだ。世俗主義の政治と同じに制定法を施行したとしても、その基本的な精神はイスラム法から逸脱できない。一九七八年の革命で世俗主義の王政を廃したイランがそうで、アメリカなどはやはりいい顔をしないが、イスラム主義の政治は例えばサウジアラビアなどでも行われているのだ。サラフィー主義のワッハーブ派を奉じて、いっそう厳格なくらいであり、この国では憲法=クルアーンと定められているほどだ。まさに政教一致、文字通りの「イスラム原理主義」だが、アメリカの同盟国なので、そうは呼ばれない。
繰り返すが、イスラム主義の政治は一方的に否定されるべきものではない。イスラム教徒ならざる身にして、そうする資格もない。が、他方の事実として、女性の権利の無視や軽視をはじめ、様々な問題を惹起せしめて、その国民からも悲鳴が上がっている。それを国際社会は非難する。承知して、イスラム主義の政権も穏健な姿勢をみせる。報道で知る分にはシリアの新政権も然りだが、それをいうならアフガニスタンのタリバンも然りだったのだ。最初は妥協的な発言で国際社会の歓心を買うが、いったん政権が安定すれば、もうイスラム主義の政治を譲らない。シリアの新政権がそうならないことを、祈るしかない。
まだまだシリアは予断を許さない
諸国の介入が続くのではないか
シリア内戦が異例なほど長引いたのは、ひとつにはアメリカやヨーロッパ、さらに国連までもが、介入に積極的でなかったからだ。独裁的なアサド政権は支持できないが、さりとて「テロ組織」に指定してきた反政府勢力も応援できない。例外が自由シリア軍という勢力だったが、それは内戦の過程で弱体化、細分化、あげく他の組織に吸収されてしまった。後押しするところがなくなって、そのまま消極的な対応に終始してきたわけだが、それは今後も大きくは変わらないだろう。熱心に支えるでもなければ、躍起になって排除するでもなく、まずはシリアの新政権を見守るといったところか。
他方、アサド政権の後ろ盾を任じてきたのが、ロシアだ。地中海沿岸にタルトゥース海軍基地、北西部にフメイミム空軍基地を置いて、ロシア軍も駐屯させてきたが、それも政治的信条からバアス党を支えたいというより、この地域に影響力を確保したいからだった。基地を置き続けたいと、新政権と接触を始めたともいい、それが認められれば、大きな介入はないだろう。
イランもアサド政権を支援してきた。イスラム教は大きくシーア派とスンニ派に分かれるが、イランは典型的にシーア派の国だ。シリアはといえば、人口の約七十四%がスン二派、約十三%がシーア派、約十一%がその他のキリスト教徒やイスラム教のドゥルーズ派となっている。アサド政権は政治は世俗主義ながら、その基盤としてきた国民はシーア派だった。その強権政治は人口の僅か一割強で他の圧倒的多数を抑えるためだったともいえるが、さておき、イランがアサド政権を支援したのは同じシーア派だったからだ。もちろん隣国シリアに影響力を確保したい思惑もあるが、イランの場合、そのためだけに新政権に乗り換えるとは思われない。といって、それを排除するほどの力もなく、さらなる介入は考えにくいように思われる。
反政府勢力を支援してきたのが、トルコだ。それもクルド人民防衛隊以外の反政府勢力というべきか、クルド人民防衛隊には逆に攻撃を加えてきた。イスラム教の四大民族が、アラブ人、ペルシャ人、トルコ人、そしてクルド人だが、そのうち人口三千万とも四千万ともいわれるクルド人だけが、自らの国を持っていない。長く「クルディスタン」と呼ばれるエリアで暮らしてきたが、そのことが一九二〇年に中東を分割したイギリス、フランス、ともに頭になかったので、恣意的な国境の線引きで、クルド人たちはトルコ南東部、イラク北部、イラン北西部、シリア北部に分かれて暮らすことになったのだ。
当然ながら、クルド人は独立を望み、少なくとも自治を求める。それはシリアだけでなく、トルコのクルド人も同じだ。これにトルコ政府は、断固弾圧の姿勢で臨んできた。また自国のクルド人を勢いづかせると唱えて、シリアのクルド人にも攻撃を加えたのだ。シリア新政権はクルド人民防衛隊の取りこみを公言しているが、そうであるなら、トルコが介入を続ける公算は高い。それは嫌だと、シリア新政権がクルド人の除外に動けば、また内紛、内乱の可能性が生じてしまう。
そのクルド人民防衛隊を支援してきたのが、イスラエルだ。クルド人のためになりたいというより、他の反政府勢力を牽制したかったからで、それがアサド政権を倒し、新政権を打ち立てんとするや、直接的な攻撃にまで踏み出した。イスラエル軍によるシリア空爆は、シリア人権監視団が十二月十五日までに確認した分で、すでに七十五回を数えるという。アサド政権が有していた武器、わけても危険な生物科学兵器を新政権に渡さないためと唱えるが、つまるところはゴラン高原を守りたいのだ。
一九六七年の第三次中東戦争で、ヨルダンから東エルサレム、エジプトからガザ地区を奪うと同時にシリアから削りとったもので、イスラエル軍は撤退せよとの国連勧告を無視しながら、今日まで占領を続けている。そのゴラン高原に、アサド政権は手を出さなかった。勝ち目がないとわかっていたからだが、新しい政権は「イスラム原理主義者」で、過激派だから、ゴラン高原に攻めこんでくるかもしれない。そう考えるイスラエルは、いきなりの介入を躊躇わず、また今後も介入を続けるだろう。新政権を牽制するため、クルド人民防衛隊を焚きつけることまでやれば、それがまた新たな内紛、内乱の種になる。
つまるところ、まだまだシリアは予断を許さない。このまま望ましい状態に、すんなり移行するとは考えにくい。内乱を逃れた大量のシリア難民の問題──シリアに戻るのか、戻れるのかも含め──もあり、国際社会としては一瞬も目を離せないところなのだが……。