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『メタバース さよならアトムの時代』は新世界の予言書である【能楽師・安田登 書評】

4月5日(火)に発売された『メタバース さよならアトムの時代』が今SNSを中心に大きく盛り上がっています。
刊行記念企画として、能楽師の安田登さんに書評をご寄稿いただきました。
「古典」と「VR」に造詣の深い安田さんならではの、非常にユニークなメタバース論です。

「どうしようもない現実」から、私たちの心身を解放する

私たちはいま、かつてない変化のただなかにいる、そういうことを本書は教えてくれる。

その変化を作り出すものがメタバースである。メタバースは私たちの生活を根底から変える。「どうしようもない現実」から、私たちの心身を解放し、土地・環境・身体の呪縛から自己を解き放つ。そんな力を持つのがメタバースだ。

しかし、著者である加藤直人氏はそこに「危機感」も感じている。ディストピアとしてのメタバースに対する危機感ではない。せっかく人類が描いた夢の生活スタイルであるメタバース、それが一過性の盛り上がりで終わってしまうということへの危機感だ。それが本書執筆の動機のひとつだという。

インターネットがそうであったように、生まれたときには夢のツールも、既得権益にまみれた巨大ビジネスの中に取り込まれると、突然つまらないものになってしまう。それを加藤氏は危惧する。

しかし、危惧してばかりはいられない。

本書の副題である「さよならアトムの時代」のアトムは「物質」である。エネルギーを使ってアトムを動かす産業革命以降の社会は、世界を崩壊に導く。そろそろ何とかしなければ人類に未来はない。アトム(物質)から人々を自由にするメタバース。それによって世界は変わるが、それをするのは私たちだ。私たちが変えなくてはならない。そのための議論が必要であり、そのために加藤氏は本書を書いたという。

だから本書の視野は、とてつもなく広い。

メタバースを1時間でブリーフィングできる本

むろん、本書はメタバースの入門書としてもすぐれている。

会社の上司から「メタバースとは何か。明日、1時間でブリーフィングせよ」と言われたら本書を読むといい。

第1章の「メタバースとは何か」から始まり、第2章「メタバース市場とそのプレイヤーたち」、第3章「人類史にとってのメタバース」、第4章「VRという技術革命」、第5章「加速する新しい経済」、そして第6章の「メタバースの未来と日本」と章タイトルを見ただけで、本書がメタバース全般をカバーすることがわかるだろう。しかも、各章の最後にはサマリーが付いているので、これだけ読んでも何とかなる(笑)。

しかし、本文を読んでいけば、精選された情報とその確かさ、そして著者の思索の深さに驚くはずだ。上司からの命令がきっかけで読みだしたのに、いつの間にか人類の未来を考えているなんてことになっているかも知れない。そしてさらに深めたい人には参考文献が各章の末尾に付いているという念の入りようである。

また、本書が信頼できる第一の理由は、加藤氏がメタバースのプラットフォームである「クラスター(cluster)」を提供する人であるからだ。氏は、京大の大学院で量子物性を研究した研究者であり、ひきこもりであり、オタクであり、そしてプログラマーでもあり、そして成功しているビジネスマンでもある。こんな人は日本には他にいない。

メタバース世界に入ろうとする日本人が最初に訪れるのは「VRChat」か、「クラスター」だろう。クラスターはクリエーター・エコノミーという点でVRChatに比べて優れている。すなわち自分自身の世界「ワールド」を簡単に作ることができるのだ。そして、自分の創った世界に友達を呼んで、メタバース共同体を作ることすらできる。それもプログラミングや3DCGの知識がまったくなくても作ることができるのである。

VRChatでもワールドを作ることはできる。しかし、VRChatの場合はユーザーランクを上げてからでないとワールド作成は許されない。これはVRChatに自分がコントロールされているようで気分が悪い。

加藤氏は、マシュー・ポールの定義した「メタバース7つの条件」に加えて、身体性と自己組織化もその条件に挙げる。「自己組織化」とは、たとえばクラスターが、その作成者である加藤さんたちの手を離れて勝手に動き始め、しかもそこに秩序だった大きな構造が生まれることをいう。「非中央集権化」ともいう。

各自が勝手に動きながら、そこに調和が生まれる。これを漢字では「和」という文字で表した。和の本来の文字は「龢」だ。この文字はさまざまな音の笛を同時に鳴らし、そこに調和を見出すことを表す。

「どうしようもない現実」があふれた現代は、たとえば国には王や大統領や総理大臣が君臨し、会社には会長や社長が君臨する中央集権的社会である。そこから自由になるためには非中央集権化、自己組織化は必須だ。ユーザーランクを上げなければワールドを作れないVRChatは、そういう意味ではまだ中央集権的である。

そこから自由になろうとするクラスターを運営する加藤氏は「和(龢)」の人であり、メタバースを地でいく人なのである。

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安田登

やすだ・のぼる
1956年生まれ。下掛宝生流ワキ方能楽師。関西大学特任教授(総合情報学部)。能楽師として活躍しながら、能のメソッドを使った作品の創作・演出・出演などに精力的に取り組んでいる。執筆・講演のほかに、理化学研究所のAIと文化の研究チームにも携わるなど、多方面で注目されている。『役に立つ古典(学びのきほん)』、『すごい論語』、『能――650年続いた仕掛けとは』、『日本人の身体』、『身体能力を高める「和の所作」、『体と心がラクになる「和」のウォーキング』、『野の古典』など著書多数。

Twitter@eutonie

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