よみタイ

絵を丁寧に観ることを促す言葉の心地よさ~林綾野氏(キュレーター)が『饒舌な名画たち 西洋絵画を読み解く11の視点』を読む

「詳しくないんですけどね」
 絵を見ることが好きだという人の多くが、よくそう口にする。絵画の歴史や様式、画家のことなどしっかりと知らなければ、絵を「好き」と言うのははばかられるという思い込みがあるのかもしれない。好きなものをただ好きと言えない。そんな閉塞感が多くの人を、絵を楽しむ喜びから遠ざけてしまっているように思う。この本は、そんな呪縛から実に自然に解放してくれる。

 絵画と向き合うとき、感じることを主とする「見る」と、描かれていることを読み解く「観る」という2つの視点があると筆者である石沢さんは言う。絵画は感性の芸術で、心のままに感じる「見る」ことを大切にしながらも、「観る」という視点から、美術作品がもつ独自の言語を読み解くことで、絵画が放つ「言葉」をより鮮明に捉えることができると。その「言葉」とは、絵に描き表されているキリスト教やギリシャ・ローマ神話の決まりごとや、当時の風習や流行、価値観などを含んだ西洋美術のルール。そうした「言葉」がわかるようになれば、途端に絵の方から語りかけてくる、つまり「饒舌な名画たち」とのお付き合いがはじまるというわけだ。

 本書では、言及される絵画作品の図版が全て掲載されているが、筆者は1つ1つの作品をまずは言葉で丁寧に描写していく。「地面や樹木を包む金色の輝き、かげる緑の天鵞絨ビロードめいた感触、水の透明感、光にかすかに焦げたような空の色合い……」*1。「浅瀬に乗り上げた大きな貝殻の中、ウェヌスは柔らかな物腰で佇む。波と空気に揺蕩たゆたうかのように……」*2。言葉を追っているだけで、その絵を見る喜びが予感され、心が震える。綴られる文字に導かれながら、絵に対する好奇心が高まり、私たちの心は自然と開いていく。そして風景の意味合いがどう変遷していったのか? ウェヌス(ヴィーナス)、女神たちの姿に託されたものはなんだったのか? 絵画におけるそうした決まりごとを読み進めていくうちに、私たちはいつの間にか絵を「観る」ことをはじめている。

 本書を通して、西洋美術の知識を得るだけでなく、私たちは「饒舌な名画たち」との付き合い方の糸口を見つけることだろう。読み終えた後、「あれは何?」「これはどんな意味?」、そんなふうに絵に話しかけるようになっているはずだ。本書をめくりながら、相手(名画)が饒舌になるまで、仔細に視線を注ぎ、観ることの喜びを噛み締める。絵画作品と向き合うことはコミュニケーションだったのだ。

*1 P72 ジョルジョーネ「嵐」
*2 P136 ボッティチェリ「ウェヌス(ヴィーナス)の誕生」

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
下記より、『饒舌な名画たち 西洋絵画を読み解く11の視点』第1章「聖母とマグダラのマリアの描かれ方」が読めます!

『饒舌な名画たち 西洋絵画を読み解く11の視点』4月4日発売!
『饒舌な名画たち 西洋絵画を読み解く11の視点』4月4日発売!

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント

新刊紹介

林綾野

はやし・あやの
キュレーター、アートライター。美術館で展覧会の企画制作、絵画鑑賞のワークショップなどを行う。画家の創作への想いやライフスタイル、食の趣向などから、美術作品を身近なものとして紹介する。著書に『画家の食卓』『フェルメールの食卓』『モネ 庭とレシピ』『ぼくはフィンセント・ファン・ゴッホ』(講談社)、『浮世絵に見る江戸の食卓』(美術出版社)、近年手がけた展覧会に「堀内誠一絵の世界展」「柚木沙弥郎Life・life展」「谷川俊太郎 絵本百貨展」などがある。

石沢麻依

いしざわ・まい
1980年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部で心理学を学び、同大学院文学研究科で西洋美術史を専攻、修士課程を修了。
2021年「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞、第165回芥川龍之介賞受賞。
著書に小説『貝に続く場所にて』『月の三相』、エッセイ『かりそめの星巡り』がある。

週間ランキング 今読まれているホットな記事