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蔦屋重三郎と「オールドメディア」の女性表象【児玉雨子 特別エッセイ】

作詞家・小説家の児玉雨子さんが江戸文芸を紹介する『江戸POP道中文字栗毛』が大好評発売中です!

今回はその番外編として、現在NHK大河ドラマ『べらぼう』で話題の蔦屋重三郎に関わる特別エッセイをご寄稿いただきました。
イラスト/みやままひろ
イラスト/みやままひろ

大河ドラマ「べらぼう」とメディアスキャンダルの2025年

 2024年後半あたりから「オールドメディア」という言葉を耳目にすることが増えた。マスメディアを批判的に指す「マスゴミ」というネットスラングの代替品かと思えば、2025年の年明け早々に噴出したタレントによる性的暴行と、それを発端にしたフジテレビ問題前後から、この言葉が人口に膾炙している。個人的におもしろかったのは、紙メディア記者出身の知人ですらその言葉を使っていたことだ。もはや「オールドメディア」は単なるネットスラングに留まらない。

 奇しくも2025年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の主人公は、蔦屋重三郎という江戸時代中期に活躍した出版業者──いわば当時のメディア王だ。現在では企画・編集は出版社、書籍の販売は書店と分業されているものの、当時は地本問屋(本屋のこと。版元とも呼ぶ)がこれを一括して行っていたので、蔦重が抱えた仕事量は相当なものだっただろう。

 拙著『江戸POP道中文字栗毛』は読書エッセイなので、今の編集者やプロデューサー的な立ち位置である彼自身についてあまり取り扱わなかったものの、恋川春町、山東京伝、曲亭馬琴、朋誠堂喜三二などの錚々たる作家の本を出版した男が主役になったことはいちファンとして喜ばしく、毎週NHKオンデマンドアプリにかじりついている。登場する本のチョイスもいちいちニヤリとさせる作品選びだ。拙著で取り上げた作品もいくつかあるので、本片手に一緒にほくそ笑んでみてください。

 さて一方で、蔦重を取り扱う上で切っても切り離せない新吉原遊廓の描写や、その撮影方法に新年早々賛否が出ていたことも見過ごすことはできない。たしかに現代の感覚そのままで視聴すると、遊郭という幕府公認の性的な人身売買システムの存在に嫌悪感を抱くのも無理はない。さらに昨今のメディアと女性の人権にまつわる問題と放送開始時期が被ってしまったのもあって、ドラマの内容ではなく、時代背景そのものに抵抗がある視聴者が出てくるのは、災難だが致し方ないようにも思う。

 しかしいくら災難とはいえ、メディアと女性の人権の関係に関しては、単なる偶然では片付けてはいけないものじゃないか? とも思うのだ。「オールドメディア」の足元が揺らぐ今年にこれが放送されたのも、何かの縁かもしれない。
 
 蔦屋重三郎はドラマでも紹介されている通り、その出身が吉原と伝えられている。それゆえ彼が吉原に通暁していて、彼は女性を構造的に「上納」してメディア王として成り上がった──というよりも、彼を取り巻くものや日本文学史上の女性の取り扱いに難ありで、彼は良くも悪くもその寵児として活躍するに至った、というのが私の蔦重評だ。「社会的にも文学史的にも、かつて女性の人権はなかった」ですべてを片付けることもできるのだけど、あえて江戸時代から続くメディアと女性の関わりにテーマを絞れば、新たに見えてくるものもあるんじゃないかな? と思い立ってつらつらと考えてみた。

江戸の男子校現象

 ひとつは、意外かもしれないけれど、都市構造の問題だ。当時(主に18世紀あたり)の江戸という都市は男性が女性の倍以上いる、いわば男余りの都市だった。おのずと社会構造も市場も男性中心的になってしまう。

 なぜ江戸が男余りの都市だったかというと、理由はとても単純で、江戸は武士階級による人工都市であったのだ。当然、当時の武士は男性に限られる。さらに町商人として地方から働きにやってくる者たちは、実家の家督を継げなかった次男以下の男性が多い。
貴族や武家などの特権階級でもない女性は、そもそも家というシステムで農村部から都会へ出てこられない。運良く家を出られても(あるいは、人さらいに売られても)江戸での働き口がごく少ないのだ。都市部の女性の仕事といえば、女中、女郎や芸者、遣り手婆(女性の女衒)、茶屋や店の看板娘、髪結など、接客や芸能にまつわるものや売春にまつわるものが多い。女郎でない看板娘でさえ、その容姿を活かして客を多く呼び込むのが「仕事」であった。未婚若年女性が性的な存在として扱われやすかった状態が、こういった都市構造からも推測できる。

 もちろん売買春は江戸時代以前から存在した。天下御免の花街は大坂の新町、京都の島原にもあり、遊郭を舞台にした作品は蔦重の時代以前から人気ではあった。ただ、そもそも遊郭という形で売春を政府が公認したのは江戸に行政機能が移ってからである。男余りの都市でその決定が下されたということは留意すべきだ。わざわざドラマで田沼意次が「女と賭博」を国益として、非公認の宿場や岡場所の売買春さえも容認するセリフがあったのは、そういう社会背景を匂わせる目的もあったのかな、と思う。

 私はこういう、男性が多い環境で女性の実像が都合よく変えられてしまうことを勝手に「男子校現象」と呼んでいる(何も新しい概念ではなく、ホモソーシャルをちょっとかわいく表現しただけです)。そんな男子校文化時代の中で、蔦屋重三郎が「もっと本を作ろう!」と野心を燃やせば、遊郭の評判記やそこを舞台にした戯作だらけになるのは自明のことだ。
男子校では他校の女子と関わった者がスーパースターになってしまうように、当時は遊郭に通じている男が都会的な通人とされ、さらに田舎侍たちがそれを真似て女郎の前でへまをして、そんな彼らをあざけるような黄表紙・洒落本というジャンルが流行ったのだ。

 こういった、近世文芸の特徴のひとつである「滑稽」を描く文化はそれなりにおもしろいのだが、一方でこれはきょうびの水商売系インフルエンサーや社会的地位のある人間が「チー牛」や「迷惑おじ」といった、冴えない男性を嘲笑うミームとよく似ているようにも思う。「滑稽」は江戸に育まれた豊かな都市文化……といえば聞こえはいいのだが、もしかして都市部の性産業で起こりやすい感覚だっただけなのかな、とここ数年は思うところがある。江戸には江戸の滑稽が、そして東京には東京の滑稽があり、男の勝ち負けが社会を形作るかぎりこの様式は繰り返されるのかもしれない。

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新刊紹介

児玉雨子

こだま・あめこ
作詞家、小説家。1993年生まれ。神奈川県出身。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。アイドル、声優、テレビアニメ主題歌やキャラクターソングを中心に幅広く作詞提供。2021年『誰にも奪われたくない/凸撃』で小説家デビュー。2023年『##NAME##』が第169回芥川賞候補作となる。

Twitter @kodamameko

(写真:玉井美世子)

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