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【稲田俊輔さん×阿古真理さん『異国の味』刊行記念特別対談】 ブームとトレンドで振り返る、昭和・平成・令和の外国料理事情

ナンと共に味わうスパイスカレーの衝撃

阿古 私が衝撃を受けた外国料理は、稲田さんほどの大きな衝撃ではなく軽めの衝撃だと思うんですけど、実はナンで食べるインド料理でした。私は、大阪にいた頃は全然流行に敏感な人間ではなかったので、インド料理デビューは遅くて、96年とか97年とか、フリーのライターになってからだったんですよね。大阪駅前のマルビルにあった〔ashoka (アショカ)〕というお店に行って、初めてカレーにナンをつけて食べて。スパイシーだけどまろやかで、今までと全然違う味わいで、何だこれはって。ナンの食感も好きだったし、はまりました。

稲田 〔ashoka〕は名店ですね。

阿古 私はカレーは普通に好きなんですけど、小学生の時は、なんで男子は給食のカレーにいつも並ぶんだろうと思ってたクチで。給食のカレー、甘かったんで苦手でした。うちはエスビーの「ゴールデンカレー」だったんですよね。

稲田 うちと一緒だ。

阿古 中辛で。だからハウス「バーモントカレー」も甘くてダメな子どもだったんですよ。そんな私が〔ashoka〕で衝撃を受けて、カレーといえばインドカレー、カレーといえばナンに付けるカレーっていうふうになったのは確かで、そこから欧風カレーにそっぽを向く人生が始まってしまいました。喫茶店でカレーをほとんど食べなくなり、ホテルでカレーを注文しなくなり、そして「カレー、食べる? じゃあ、インド料理屋行こう」っていうふうになりました。
インド料理に出会う前、広告の会社に勤めていて、家電メーカーのチラシや会報誌を作っていたのですが、カレー特集の時に、「スパイスやりましょう!」って先輩が企画して。クミンとかコリアンダーとか、いろんなスパイスを使ったカレーを料理の先生が作ってくださって、そのスパイスを紹介するコラムに私も携わって、面白いなと思って。その後に〔ashoka〕に出会ったんです。一人暮らしを始めていたので、自分でも単品スパイスをそろえて自己流のカレーを作ったりするようになりました。今でも作ります。

稲田 それ、何年ぐらいの話ですか。

阿古 それが90年代半ばなんですよ。

稲田 相当早いですよね。

阿古 そうですか。流行に疎いのに、そこはなぜか早かった。その頃、男の子たちの中でカレーマニアみたいなのが出てきて、〝俺のカレー〟ブームみたいなのがあるわけですよ。キャンプに行ったら、スパイスから全部持ってきて作る。

稲田 キャンプに持ってきますね、あの人たち。スパイスを。

阿古 90年代の後半に、私が参加していたテニスサークルの中でカップルがいくつかできてたんですけど、その中のひと組の彼のほうが張り切って、「俺のカレーを作ってやる」とか言い出して、なぜか私の家に来て、私と彼女の二人にニンジンを2本すりおろさせまして、〝俺のカレー〟が残されるっていう。そんな感じでカレーマニアが周りにいっぱいいたので、逆に早めに冷めていったっていうのはあります。

稲田 なるほど。いや、でもそのカレーを作りたがる男の行動パターンはずっと変わってないですね、結局、昔も今も。

Z世代は米を求める? 尖りから安パイの時代へ

稲田 タイ料理の話に一回戻りたいのですが、僕、阿古さんが書かれていて、あっと思ったことがあって。
90年代のブームのときは、トムヤムクンとかゲンキョウワンとか、ああいうエッジが立った、日常からの飛距離が遠いものが最初に流行ったのに、その後2010年以降は、カオマンガイとかガパオみたいな、いかにも米に合うおかず的なものしか流行っていないということを書かれていて、確かにそうだなと思って。でもこれ、タイ料理に限らず、やっぱり1990年代前後辺りのほうが何かとアグレッシブだったということなんですかね。

阿古 そうですね。

稲田 尖っていた80年代~90年代みたいなところから、どんどん安パイを求めるようになる2010年以降みたいな流れが、いろんなジャンルで起きているような感覚があって。

阿古 それは、それこそ稲田さんがこの本で繰り返し書かれている、本格志向と、大多数の日本人が求める味とのギャップと、しかしその本格志向にはクエスチョンが付くみたいなところともリンクしてくると思います。特にアジア料理の歴史を見ているとよくわかるんですけど、日本人が受け入れてくれないからっていうので唐辛子をどんどん抜いて、スパイスをどんどん抜いてみたいなことをやって、もう和食に近いんじゃないの?ぐらいになってしまった老舗っていうのがあって、そういう老舗の味を、本場を知っている人、あるいはその国からやってきた人たちは「あんなのは◯◯料理じゃない」って言う。で、本格志向の日本人も、いや、あんなのダメだよって言うみたいなことがありますよね。でも多くの一般のお客さんにはそれが支持されている。そのことを是とするか非とするかっていうところがなんか難しいなと。

稲田 本当にこれは絶対に答えが出ないんですけど、でもずっとそれが繰り返されてるなっていう。それでいうと、1990年代の出来事としてはやっぱり〝ティラミスブーム〟が象徴的だと思うんですよね。ティラミスってぎりぎり、自分もリアルタイムに体験しているから何となくわかるんですけど、全くそれまでの自分の生活にはないタイプのお菓子というか、説明されても、想像しても想像しようがないみたいなものが流行ったわけですよね。
でも最近はあんまりそういうぶっ飛んだものって流行らなくって、それこそマリトッツォみたいな、もう見た瞬間、大体、味が想像できるものじゃないとなかなか当たらなくなってるな、と。
そう思った時にもう一つ気が付いたのが、ティラミスには当時、若者が真っ先に飛び付いたという認識でいいんですかね?

阿古 そうですね。

稲田 そうですよね。『Hanako』の読者もまだ若かった時代ですよね。若者がまず飛び付いて、その後、大人というか、おじさん、おばさんたちが、後れを取ってはならぬみたいな感じで必死についていったというイメージです。
最近も、ティラミスまではいかないんですけど、この1~2年でトルコのバクラヴァとか、インドのグラブ・ジャムンとかがちょっと流行りかけたんですけど、でもよく考えたらそこに飛び付いてる人たちって若者じゃないんですよね。多分、過去にティラミスに飛び付いた人たちが、そのまま世代が上がって、その人たちが今、バクラヴァに飛び付いてるだけであって、何も変わってないんじゃないかみたいな印象を受けるんですよね。

阿古 食のトレンドが階層化してるなっていうのは、最近、よく感じるんですよ。尖ったグルメが大好きな人たち、他のものを節約してでも食にお金をかける人たち、トレンド大好きっていう一部の人たちが、バクラヴァとかに行く。でもバクラヴァの店は増えてないので、大きな流行りにならないのはしょうがないんですよね。そこの問題があって、みんなが知っているほど流行るってことでは、やっぱり定番に行くんですよね。ハンバーグとかフライとかサバ缶とか。そういう定番とか、あるいは和食化した洋食というようなものだったりする。その意味でいうと、スパイスカレーはちょっと攻めてるような、でも王道のような、なんか難しい立ち位置にある感じはするんですけど。

稲田 確かに。

阿古 安心感を求めてるっていうのは、今、大きな流行ではあると思います。それはやっぱり時代の違いですよね。90年代ぐらいまでは、日本はまだ追い付け、追い越せの気風を引きずっていて。バブルがはじけて自信を失っても、まだ欧米に並ぶぞっていう、団塊の世代はいまだにそういう感覚。でも今はグローバリゼーションで世界中がフラットになって、SNSで世界中がつながっていて、韓国の流行をあっという間に若者たちが取り入れたりして。おじさんたちは、「なんで韓国が流行るの?」みたいになっていて。
日本は経済大国になって、一通りのものが揃っているのが当たり前になったけど、でもそこからずっと下降をたどっているよね、という空気なわけですよ。若者になればなるほど時代は過酷であり、生き抜いていけるのかっていう不安があり、そして、ITの普及によって、もう日々、何でもかんでもすぐアップデートされるということで、どんどん変わっていく。街並みは再開発の嵐みたいな。この変化の激しい時代の中で、10代、20代の若者は〝昭和〟が大好きだったりするんですよね。

稲田 最近、またブームみたいになってますね。

阿古 憧れの昭和。カセットテープが大好きな人が多いですし、フィルムカメラの生産も増えてるらしいんですよね。アナログレコードも人気だし。それは、やっぱりあまりにも激し過ぎる時代にあって、安心したいわけですよ。生まれてなかった彼らにとって懐かしいも何もないでしょうとも思うんだけど、そういう〝ふるさと〟を求めるみたいな志向がある。だから米に合うものが流行るというふうに私は思います。

稲田 なるほど。その点、やっぱり自分たちの世代は無邪気に欧米に対して憧れることができた。確かにそうですね。高度経済成長からバブル期にかけて、まあまあ追い付いたかなって思ったのにバブル崩壊で、まだまだ、そこでもう一回、何くそみたいな、ティラミスというのはまさにそういう激動の時代だったのか。

なぜ男たちは〝俺のパスタ〟を作りたがるのか

阿古 この本の中では、イタリア料理が柱になっているような気がしたんです。すごく字数も割いてるし、思い入れを感じて。だからイタリア料理というものに対する稲田さんの気持ちをお聞きしたいです。

稲田 まず、これを書き始めたときに、三つ柱があるなって思ったんですよ。一つは中国(華)料理で、もう一つはインド料理。インド料理は自分のメインフィールドともいえるし、これが多分、トリというか、ラストナンバーになるだろうと。そしてもう一つ、絶対に外せないのはイタリアンだと思ったんですよね。
なぜかというと、さっき言ったように、田舎の高校生だった頃には、イタリアンのお店やそこに集まる人たちが、とにかくキラキラしていて、自分には手の届かないものに見えていたということがあります。でも案外、それはだんだん自分たちにも身近なものに普及していったという経緯があって。
あと、世の中でイタリアンはなんでこんなに人気があるんだろう?って、不思議に思っていて。フランス料理がいつの間にか西洋料理の王者ではなくなったじゃないですか。そこの逆転劇みたいなものが、傍から見ていて面白かったですし。
かつてのネット掲示板「2ちゃんねる」(編集部補足:現在の「5ちゃんねる」)に食に関するカテゴリーもあって、僕よくのぞいてたんですけど、イタリアン好きな人たちがやたらケンカしてて、それがものすごく興味深かったんですよね。「スパゲッティを茹でるときの塩は3%入れろ、海水と同じだ」「何を言ってるんだ、3%も入れたらしょっぱくて食べられなくなる、高血圧で死ぬつもりか」みたいな殺伐としたやりとりがあって、最後、3%を主張してる人が半ギレになって、うるさいと。「パスタなんてのは白ワインをがぶがぶ飲みながら食べるものなんだから、しょっぱいぐらいでちょうどいいんだ」って。しょっぱいのは我慢しろとか言い始めるんですね。

阿古 デジタル上っていうか、メールでもそうなんですけど、そういうので口論になると、どんどんエスカレートしますよね。

稲田 エスカレートするんです。もうだんだん揚げ足取りになって、どこから議論が始まってるのか、もうみんな完全に忘れてるんですよね。百年戦争みたいなもんで、もう始まった理由を誰も知らないんだけど戦ってる、みたいな。傍から見てると面白くて、そういう興味もあったりしました。
で、最後にちょっと真面目な話をすると、自分も南インド料理というものをほとんど誰も知らない状態から、受け入れるべき人に受け入れてもらいたいみたいなことをやっていく中で、やっぱりイタリアンって最も成功したモデルケースだと思ってるんですよね。イタリア料理がいろんな欧米料理の中の一つっていうところから頭一つ抜けて、二つ抜けて、もうほぼ支配しちゃったみたいなのをまさにリアルタイムで見てきてるから、あれと同じことが南インド料理に起こったりはしまいか、みたいな目で見てたりとかして。

阿古 目指せ、イタリアン。

稲田 目指せかどうかはちょっと微妙なところもあるんですけど、でも何が違うんだろう?っていうのは気になっていて、その目線で注目しているというところはあります。

阿古 イタリアンでいうと、最近、私の周りの女性たちの間で話題になるのが、「なぜ男はあんなにイタリアンが好きなのか。なぜパスタを作りたがるのか」。女子はちょっと炭水化物控えめな方向に振ってるのに、どうして〝俺のパスタ〟をこんなに自慢するのかっていう話が出るんです。何なんでしょう?

稲田 僕はそういうパスタが得意な男性たちを昔から〝パスタ男〟と呼んでるんですけど、なぜそう呼ぶかっていうと、自分も確かにパスタ男だったからです。大学生のときにはすでにパスタ男で、でもイタリアンのレストランはちょっと怖いし、高いし、行けないから、それこそ落合務さんとか片岡護さんとかのレシピ本を読んで。

阿古 落合さんの本、すごいですよね。細かくて、カルボナーラのレシピも恐ろしく難しい。

稲田 難しいというか細かいんですよ、指示が。ミートソースを作るのにも、ひき肉はまず巨大なハンバーグを焼くと思って焼き込めみたいな。

阿古 一つのレシピをマスターするのに20年ぐらいかかりそうですよね(笑)。

稲田 そういうのって割と男の子心をくすぐるところもある。だから自分もパスタ男の一人として、なぜあんなにパスタに熱狂するんだろうと。
基本的に男子は、フランス料理はそんなに好まない気がするんですよね。知識を試されるようで抵抗があるのか、お店にもあんまり行きたがらない。パスタを作りたがる男の中には、自分がパスタを作るのはいいけど、イタリアンのお店に行くのはちょっとっていう人、割といると思ってます。

阿古 そうなんですか。プロの味を確かめないで?

稲田 そこは葛藤があると思います。基本的に男子はレストランが好きじゃないのではないですかね。彼女のためにちょっと無理して予約してるとか。だから逆風が吹いているはずなのに、その中でなぜパスタ男たちはあんなにパスタを作りたがるんでしょうね。

阿古 そう。その〝俺のカレー〟と〝俺のパスタ〟は何なの?っていう。

稲田 〝パスタ男〟と〝スパイス男〟と、あと〝ナンプラー男〟っていう。

阿古 ナンプラー男もいるんですか!?

稲田 ナンプラー男、います。とにかく隙あらばタイ料理を作りたい人たちですね。でも最近は下火なのかな。90年代をピークにもう盛り上がってないような気がします。

阿古 もしかして、それって世代的に40~50代ぐらい?

稲田 イメージ的にはそうですね。40半ば以上から50代。でも、パスタ男とスパイス男に関してはもっと全然下までいるイメージがありますね。

阿古 団塊世代ぐらいで、そば打ちにハマる男たちがいましたよね。手打ちそばを周囲に配る男たち。それで言うと、パスタ男はそば打ち男よりは安全性が高いというか、人に提供しても受け取る側のリスクが低めっていう気がします。

稲田 それはすごく思います。僕は元祖、まさにその世代のそば男が親戚にいたんで、どんだけ親族が迷惑を被るかをリアルタイムで目にしてきましたから。でも少なくともパスタ男は、女子はイタリアン好きでパスタ好きだから喜んでもらえるはずだって、多分、思ってますよね。

阿古 20~30年前からアップデートされてないんですね。

稲田 ずいぶんディスりますね。僕、さっきからどんだけマイルドにしようかと気にしながら話しているのに(笑)。

阿古 いや、それはアップデートされてないと思います。

稲田 やっぱり女子にはパスタといえども糖質であると。

阿古 ていうのと、パスタである必然性はなくて、彼が一生懸命、作ってくれたものなら彼女は喜ぶはずです。パスタなら受けるだろうじゃなくて、本当においしいと思っているものを、彼女にどうしても味わってもらいたいという気持ちなら大丈夫だと思います。もし、無理してパスタ作ってるんだったらやらなくても大丈夫。

稲田 何となくなんだけど、でもやっぱり彼らはパスタを手放さない気がする。

阿古 わかりました。じゃあ、ちょっとこれは解決できない問題ということで(笑)。

稲田俊輔さんは、『異国の味』に続き、現在よみタイにて「西の味、東の味。」を連載中
稲田俊輔さんは、『異国の味』に続き、現在よみタイにて「西の味、東の味。」を連載中
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新刊紹介

稲田俊輔

イナダシュンスケ
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。
和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店25店舗(海外はベトナムにも出店)の展開に尽力する。
2011年には、東京駅八重洲地下街にカウンター席主体の南インド料理店「エリックサウス」を開店。
Twitter @inadashunsukeなどで情報を発信し、「サイゼリヤ100%☆活用術」なども話題に。
著書に『おいしいもので できている』(リトルモア)、『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(柴田書店)、『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)、『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身!』(アスコム)、『キッチンが呼んでる!』(小学館)など。近著に『ミニマル料理』(柴田書店)、『個性を極めて使いこなす スパイス完全ガイド』(西東社)、『インドカレーのきほん、完全レシピ』(世界文化社)、『食いしん坊のお悩み相談』(リトルモア)。
近刊は『異国の味』(集英社)、『料理人という仕事』(筑摩書房)、『現代調理道具論』(講談社)。

阿古真理

あこ・まり
作家・生活史研究家。くらし文化研究所主宰。1968年兵庫県生まれ。食の文化史およびトレンド、家事、キッチンなど暮らしの研究を行う。
『小林カツ代と栗原はるみ』『昭和の洋食 平成のカフェ飯』『家事は大変って気づきましたか?』『日本外食全史』『大胆推理! ケンミン食のなぜ』『おいしい食の流行史』など著書多数。
2023年、第7回食生活ジャーナリスト大賞ジャーナリズム部門受賞。
最新刊は『お金、衣食住、防犯が全てわかる 今さら聞けないひとり暮らしの超基本』(朝日新聞出版)。

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