2021.9.11
伝説の風俗誌『俺の旅』編集長・生駒明さんが見た、性労働に癒やしと救いを求める「限界風俗嬢」たち
風俗業界は「セーフティートランポリン」になりうる
風俗は、本来家庭内で行われる性の営みを解体して、値段をつけたものである。家庭生活の“ネガ(反転したもの)”とも言えるだろう。生まれた家庭で得られなかった「成熟するために必要なもの」を、ピンポイントで販売し、補充してくれる面も持つ。それは両親からの愛情であったり、自立するための精神的な栄養であったりする。また、世の中の仕組みや、人との付き合い方を教えてくれる、生きた教育機関でもある。
アヤメもリカも、生まれた家庭が貧困、という訳ではない。むしろ裕福な部類に入る方だ。しかし、幼少期に性暴力に遭い、年を重ねるにつれて、吸い込まれるように風俗店や水商売店で働くようになる。家庭や学校が「戦場」で、その中で闘い、風俗店が束の間の「慰安の場」となり、そこで働くことによって「救われている」ようだ。
心身の「限界」を生きる現代の女の子たちにとって、風俗業界が、ある種の「癒やしの場」になっているという現実がそこにはある。一部の女の子たちにとっては、「堕ちていく場所(悪所)」ではなく、「救済される場所(良所)」として、機能している。セーフティーネットというより、「セーフティートランポリン」である。底辺への落下を防いでくれるだけでなく、うまく使えば上まで跳ね返ってこれる、素晴らしい道具にもなり得るのだ。
2000年頃に、名古屋の人妻風俗嬢から聞いた言葉を思い出した。「私、風俗店で働く前は、こういう所にいるのは、“変態”ばかりだと思っていた。女の子も、従業員も、客も、みんな“変態”だと。遊びに来るのは“変態だけ”だと。でも、自分が働くようになって、見方が変わったの。“普通の人しかいない”って。“普通の人しか来ない”って」。
この人妻は、旦那が単身赴任で家からいなくなり、自宅で1人で過ごすのがあまりに退屈で、風俗店で働きだした、と生き生きと語ってくれた。風俗業界に対する世間の「汚れた」イメージと、実態は大きく異なっているが、偏見はいまだ根強い。