2022.6.21
がんばれないという事態が立ち現れたっていい——中島京子さんが読む『本を読んだら散歩に行こう』
認知症が進行する義母の介護、双子の息子たちの高校受験、積み重なりゆく仕事、長引くコロナ禍――。
ハプニング続きの日々のなかで、愛犬のラブラドール、ハリーを横に開いた本は……?
読書家としても知られる村井さんの読書案内を兼ねた濃厚エピソード満載のエッセイ集です。
本書の刊行を記念して、連続書評特集をお届けします。
第1弾となる今回は、小説家の中島京子さんです。
『平成大家族』『小さいおうち』『長いお別れ』など、家族を題材とした作品も数多く執筆されている中島さんは、本書をどのように読んだのでしょうか。
(文/中島京子、構成/よみタイ編集部)
「老い」についての言葉にセンサーが反応
村井さんの日常が切り取られるエッセイと、折々に読んだ本の紹介で綴られる本書の中で、ところどころでわたしのセンサーがぴきぴき反応するのが、「老い」についてだった。
「老いた人がたたえる独特の静けさと、そこに漂う悲しさを目撃しては、はっと息をのむ。老いとは、受け入れながらも翻弄されてしまうものだと確信する」
認知症を発症したお義母さんのお世話をしているときに、村井さんが得た気づきだが、村井さん自身が、年を重ねて見つけた言葉とも言えるだろう。受け入れながらも翻弄される――。そう、わたしたちは誰も。お義母さんのこんな言葉にも、わたしは反応してしまう。
「でもね、やっぱり寂しく思いますね」「そりゃあ、こんな年になって、まったく知らない土地に連れてこられてしまって、右も左もわからないんですから」
お義母さんは三十年以上も暮らした土地を「知らない土地」と感じて「故郷にどうしても戻りたい」「古くからの友達や親戚が多くいるんですよ」「みんなまだ元気ですから、助けてくれると思うんです」と訴える。うちの父の晩年もそうだった。「帰る」と言っては近所を徘徊してお巡りさんと家に戻ってきた。どこへ帰りたいのかと疑問だったが、俺が「右も左もわからない」はずはないんだ、それは自分のせいじゃない、いるべき場所にいないからなんだと、そう思っていたのだろう。老いによる記憶や体力の衰えを感じ、以前できていたことができないという場面に遭遇すると、その悔しさと切なさがわかる。
わたしが村井さんを最初に知ったのは「ぎゅうぎゅう焼き」という料理レシピによってでもあるのだが、その村井さんが料理に情熱を失ったというのにも、驚いた。だけど、いいのだ。がんばらない、じゃなくて、がんばれないという事態が、立ち現れたって。村井さんは、とてもおいしそうにゆで卵を食べているから、それでいいのだ、ぜったいに。
わたしにも、音信不通になった友人がいる。そして彼が失踪する前に自分がしたことを、わたしは後悔している。年を取るといろんなことがある。いろんな記憶が積み重なる。本の中に、自分の体験や感情に近いものを見つけると、ほっとする。いま、こうやって、わたしが村井さんの本に慰められたように。
(小説家・中島京子)
6月24日発売! 読書案内&エッセイ集
想定外の人生、かたわらには、犬と本。
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