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日めくり怪談 8月29日
めくるたび、どんどん怖くなる。
『一行怪談』で知られる吉田悠軌さんの最新書き下ろし怪談集『日めくり怪談』刊行を記念して、本文の中から選りすぐりのお話を一挙掲載。
1日5分の恐怖体験をお楽しみください。

日めくり怪談 8月29日

 父は真面目で一本気な職人でした。心霊の類などいっさい信じていなかったと思います。
 そんな父ですが、人生で一度だけ奇妙な体験をしたそうです。三十年前、長女である私が生まれて間もない頃。
 建設現場での仕事を終えた父は、車で事務所に戻っていました。その道すがら、夏の夕立がざあざあと降り出してきたそうです。ただでさえ帰宅ラッシュで混みあう幹線道路なのに、そのせいでひどい渋滞になりました。
 迂回うかいした方が早そうだと考えた父は、ふだん通らない裏道に入っていきました。
 しかし皆も同じことを考えていたのでしょう。その道路でも、ひしめく車がノロノロとしか進まない状態。これなら雨がやむまで待っても、到着時間はそう変わらないだろう。
 橋の手前の路肩に車を停めた父は、一服することにしました。
 母に遅れる旨を知らせよう、と父は思いました。私という赤ん坊の世話で忙しい母に、夕飯の支度を遅らせてもよいと伝えたかったのです。ただ携帯電話も普及していない時代ですから、連絡するすべがありません。
 仕方なく缶コーヒーを飲みつつ、ぼんやり雨の街並みを眺めていたところ。父の目に、それが飛び込んできました。
 向かいの道端にある、公衆電話。ボックスタイプではなく、民家の軒先のようなスペースに、むき出しの電話機が設置してありました。
 これ幸いと、どしゃ降りの道路を横断した父。ところが財布を取り出したところで自分のミスに気づきました。さきほどコーヒーを買ったため、公衆電話で使える小銭が残っていなかったのです。あるのは一枚の十円玉だけ。
 まあ、遅れると一言伝えるだけのこと。これで足りるだろうと、父は十円だけ投入し、自宅番号をプッシュしました。
 ところが、母がいっこうに出ません。いつもはすぐに電話をとるタイプなのにと思いながら、不自然に長いコール音を聞き続けました。
 ガチャリ。ようやく繋がった電話口から〝はい、もしもし〟という母の声が響きました。
「おお、俺だけど、すごい渋滞してて、いったん事務所にも寄るから、家に帰るのはまだ一時間くらいかかりそうで」
 そんな説明を早口でまくしたてる父。しかし母は聞いているのかいないのか、ずっと電話の向こうでおし黙っているだけ。不安になった父がいったん口をつぐんだ、その時。
〝お父さん?〟母が答えたところで、通話が切れてしまったそうです。
 大丈夫かな……。ま、ともかく連絡したからいいだろう。
 ところが帰宅した父は、母とちょっとした口論になってしまいました。
 母が、そんな電話など絶対に受けていないと言い張ったからです。もちろん声を聞いている父は、確かに会話したと主張しました。
「でも、あそこに公衆電話なんてないでしょう」
 その道沿いに、母がよく行く美容院があるから間違いないというのです。母は不気味な事態にすっかり怯えた様子で、噓をついているようにも見えません。
 引っ込みのつかなくなった父は、翌日、同じ場所に確かめに行きました。
 すると母の言う通りでした。例の軒先に、電話機はなかったのです。
 父は慌てて周囲を確認しました。そこで目に入ってきたものに、さらに驚かされました。
 足元の地面に、十円玉がぽつんと落ちていたからです。
 昨日の作業で付着した赤ペンキがこびりついたそれは、明らかに、自分が使ったコインに違いありません。
「あれだけは不思議だったなあ……」父は何度か、私たちにそう漏らしていました。
 
 そんな父も、数年前に他界しました。
 葬儀からしばらく経った、ある日の夕方のことです。
 私が一人で家にいると、めったにかからない家の固定電話が鳴りました。
「はい、もしもし」
 と応対したとたん、一方的にまくしたてる声が受話器から響いてきたのです。
 ──おお、俺だけど、すごい渋滞してて、いったん事務所にも寄るから、家に帰るのはまだ──
 私はなにも答えられず、ただじっと聞き耳をたてるだけでした。
 よく知っている、でもいつもよりずっと張りのある声。
 それが途切れた一瞬。
「……お父さん?」
 ようやく、その言葉だけを絞り出したところで、通話は切れてしまいました。

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吉田悠軌

よしだ・ゆうき●1980年東京都出身。怪談、オカルト研究家。怪談サークル「とうもろこしの会」会長。オカルトスポット探訪マガジン『怪処』編集長。怪談現場、怪奇スポットへの探訪をライフワークとし、執筆活動やメディア出演を行う。『怪談現場 東京23区』『怪談現場 東海道中』『一行怪談』『一行怪談漢字ドリル 小学1~4年生』『禁足地巡礼』など著書多数。
Twitterアカウント:@yoshidakaityo

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