2020.8.21
ドアスコープの向こうに見えたもの

アパートの階段から、彼女の足音が響いてきた。
今日はいつもより帰ってくるタイミングが早い。しかも急ぎ足で駆け上ってきているようだ。さっき、夕食をつくっておいたとメールしたからだろう。
ガチャリ。玄関ドアの開く音がする。
ただなぜか、物音はそこでぴたっとやんだ。いつまでたっても彼女がリビングに入ってくる気配がない。「おかえり」と声をかけても、なんの返事もなし。
夕飯が冷めるぞ……とイライラしつつ、廊下の方を覗いてみた。
玄関の三和土に、彼女が背を向けて立っていた。
靴も脱がないまま、少しだけ開いたドアの隙間から、じっと外をうかがっている。
「なにやってるの」
「いや、なんか、つけられてる気がして」
「え、痴漢?」慌てて訊ねると、予想外の答えが返ってきた。
「熊かもしれない」
熊。この東京の住宅街に、熊。
「よく見えなかったけど。距離あったし。この辺、街灯なくて暗いし」
でも駅前を過ぎた辺りからずっと、巨大な動物が後ろをついてきたのは間違いない。
ちらちら背後に見え隠れした影は、明らかに人ではなく、大型獣のそれだったという。
