2020.8.7
母のお気に入りの帯留めの秘密

母は着物が好きな人です。
私はその方面に詳しくないので、どれだけ高級なものを持っているかはわかりません。それでも多少のこだわりや、趣味といえる程度のコレクションはあるようです。
昔は、デパート催事場での和装販売などに、よく私を連れて出かけたものです。幼い私は、それが楽しみでもありました。オモチャを買ってもらえるというのもありますが、縮緬や更紗の美しい柄、かわいい小物類を眺めるのも嬉しかったのです。
「でもこういうのを買うときは、気をつけた方がいいのよ」
古布などに興味を示す私を見て、母は何度か注意してきました。全くの新品だけでなく、和服は仕立て直しやリサイクルが多いものです。そうした布や帯や小物は、どんな人が着ていたかわかりません。
また日用品と違って、着物類を手放す時は、深刻な事情が絡んでいる場合が多いから、とも言っていました。もともとはお金持ちだった家が、没落したり借金を重ねてやむなく……といったような。
「色々な念がこもっている物も、あるだろうからねえ」
私が母と同じ趣味を持てなかったのは、そんな風に聞かされてきたからでしょう。
しかも我が家には、母の説を裏付けるような品があったのです。
帯留め、というのをご存じでしょうか。
帯を締める細い紐に固定する、小さなアクセサリーです。
母が愛用していたのは、菊を模した本珊瑚の帯留めでした。
それ自体は可愛らしいものです。でも和装の場合、組み合わせや季節ごとのルールがあるはずです。母もそこに気をつかわないはずがありません。
それなのに、どんな装いの時にも、母はその帯留めを着けて出かけるのです。
そして必ず、小さな怪我をして帰ってくるのです。
帰宅後に帯を解き、襦袢まで脱いだ母のおなかには、いつも四つの細いミミズ腫れがありました。
四本の爪でひっかいたような、赤い線。それが白い肌に生々しく残っているのです。
また、その傷は、帯留めの位置をずらせば、ずらしたなりの箇所につくのだそうです。
「そんな呪われているようなもの、どうして早く捨てないの」
私がいくら主張しても、母は黙って微笑むだけだったのです。
結局、十年以上もの間、母はその帯留めを使い続けました。
