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大相撲中継の名コンビだった52代横綱・北の富士勝昭さんとの交流と、ふたりをつないだ相撲愛【元NHKアナウンサー・藤井康生さんインタビュー前編】

多くの相撲ファンにとって相撲実況といえば、この人。元NHKアナウンサーの藤井康生さん。令和4(2022)年1月に藤井さんがNHKを定年退職され、名コンビだった解説者、52代横綱の北の富士勝昭さんも体調不良でお休み。寂しくなった相撲中継に、さらに北の富士さんの訃報が飛び込んできたのが昨年11月のことでした。北の富士さんと40年近くにわたり親交を続けてきた藤井さんは、北の富士さんの言葉を書き留めておくのがいつしか習慣になったと言います。
その膨大なメモを一冊にまとめた著書『粋 北の富士勝昭が遺した言葉と時代』。発売即重版が決定した、この本には収まり切らなかったエピソード、愛する相撲界の今後についてうかがいます。

(取材・構成/秦まゆな 撮影/露木聡子)

出会ったときから「話の天才」

――北の富士さんの言葉を書き留められてきたとのことですが、いつ頃からでしょうか?

本にも書きましたけど、北の富士さんの上京の話を聞いたときだから、昭和63(1988)年ですね。14歳の北の富士さんが上野駅を出たところで転んで、母親から持たされた小豆の袋をぶちまけてしまうんです。それを見ず知らずの東京の人たち、通勤途中の人たちが集まってきて拾ってくれたというね。私はその時代も当時の上野駅前も知らないわけですが、そのときの情景、時代背景まで目に浮かぶように話されるんですよ。北の富士さんは、その話の中に人を惹きつける魅力があって、こちらものめり込んでいってしまう。天才的な人だなと思いました。そうした話を忘れないよう書き留めるようになったんです。

――放送中や取材中だけでなく、プライベートでの言葉もたくさんあるそうですね。

幸運なことに、北の富士さんから食事にお誘いいただいて、後輩アナウンサーを連れてよくご一緒していました。
北の富士さんの独壇場ですよ。ひとつ質問をすると、次から次に話が出てきて。私も相撲ファンなので、北の富士さんが相撲の世界に入ってこられた昭和30年代から活躍された40年代の話というのはたまらなく面白いんですね。それはもちろん、北の富士さんが話されるからなんですけど。
30年以上前の相撲界、ご自身のことも当時の相撲界のことも、とにかく記憶力がすごいんです。「やはり、この人は普通ではないな」と思いましたね。私自身、自分の30年前の仕事について話してくれと言われても全く覚えていませんから。

北の富士さん自身、相撲の世界にどっぷりとハマりながら、その中でいろんな経験をされて。それはもう幸せなことだけではないです。今よりも環境は厳しい、その中でつらい思いをしたり、やめようと思ったりしたことも当然あるわけです。そんな一つひとつの出来事の中で考えたことが北の富士さん自身の頭の中にずっとあるんだと思うんです、何年経っても。

人間、つらいことがあったら愚痴をこぼしてみたり、「あいつのせいだ」と言ってみたり、世の中が悪いという話にしてみたりしてしまうでしょう。でも、北の富士さんという人はそういう人じゃないんです。どんなに苦しい思いをしてきても、苦労話を表には出さずに、話すとしても、そこを逆手にとって面白いほうにつなげていく。そういう面でもすごい人物だと思います。

解説者としての北の富士さん

――親方時代から「この人は話の天才だな」と思っていらした北の富士さんが平成10(1998)年、NHKの専属解説者となるわけですよね。以来25年にわたり300回以上、実況と解説者として一緒に大相撲中継を盛り上げてこられた。初めて北の富士さんが解説をされた日のことを覚えていますか?

「藤井さん、一緒にできるね」というような声をかけてくださったことを覚えています。私としても楽しみでしたけど、期待の反面、2時間の放送の中でどんな話を引き出していけばいいのか、いろいろ考えましたね。専属解説者ということで硬い雰囲気で来られるかもしれないと、私も相当緊張して臨んだ記憶はあるんです。
ただ、放送が始まって、5分、10分経ったら、「ああ、もう普段通りでいいな」と。いつもと変わらない、気負いや緊張も全く感じられない北の富士さんでした。

――では「どんどん慣れて、解説がうまくなっていくな」という感じではなかったんですね。

北の富士さんの解説は上手下手ではないんですよね。そういう感覚じゃないんです。簡単な言葉で言うと、聞く者の「興味を膨らませてくれる」解説。「藤井さん、いいの? こんな話して。時間ある?」なんて言いながら、聞く者を引き込んでいく。大相撲中継だから「こうしなければいけない」というものが最初からなくて、「北の富士勝昭はこういう人間だから。このままやりますよ」という。
ぶっきらぼうなときもありますしね。思ったような答えが返ってこないから、面食らったアナウンサーもいたと思いますよ。でも、私は楽しかったですね。なにより、私にとっては北の富士さんほど楽な解説者はいませんでした。
他の親方だと、どんな話を持っているか、どういうふうに展開させるか、ある程度考えて臨むんです。でも北の富士さんはそういうことを考える必要がなかった。逆に、そんなことを考えてもその通りには絶対にいかないから(笑)。読めない面白さがありました。

――本の中でも、土俵の実況は最小限にして、北の富士さんの話に乗っていくエピソードがありましたね。

アナウンサーの先輩には注意されましたけどね。「話に食いついていくのはいいけど、もう少し土俵を大事にしないと。相撲中継なんだから」ってね。でも「勝敗をきちんと伝えれば、それ以外は北の富士さんの面白い話を聞く日があってもいいんじゃないですか」って、私も譲りませんでした。
北の富士さんの相撲の話は昔昔の話ではあるんだけど面白いし、今の相撲ファンにとっては「へー、そんなことがあったんだ」「そんな時代だったんだ」と新鮮に聞こえる。なんとか、もう少しきちんと北の富士さんの話を聞く機会がつくれないかと、提案し続けたんですが、なかなか形になりませんでしたね。
ようやく相撲中継の中入り(十両から幕内の取り組みの間にある休憩)の時間に『北の富士語る』というシリーズをつくれましたけど。それも長くて7分くらいですよ。もっと、NHK特集のような1時間もので語っていただきたかったですね。

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新刊紹介

藤井康生

ふじい・やすお/昭和32年1月7日生まれ、岡山県倉敷市出身。岡山朝日高校、中央大学法学部を経て、昭和54年4月、日本放送協会(NHK)入局。43年間のアナウンサー職を経て、令和4年1月、NHKを退局。大相撲は昭和 59年七月場所から約 38年間担当した。現在はフリーアナウンサーとして「ABEMA大相撲 LIVE」で実況を担当。公益財団法人日本相撲協会記者クラブ会友、JRA日本中央競馬会記者クラブ会友など多方面で活躍。
著書に『土俵の魅力と秘話』(東京ニュース通信社)がある。

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