2023.5.7
麻布競馬場みたいな小説は誰だって書ける、と思わせる凄さ【アザケイ×山下素童 対談】
今回特別に、Twitter文学祭の第一部、麻布競馬場さんと山下素童さんの対談を記事化して公開いたします!
港区に住む麻布さんと、新宿ゴールデン街を拠点にする山下さん、お二人の〈Twitter文学観〉が語られています。
構成:長瀬海
麻布競馬場は「文学」なのか?
麻布競馬場(以下、麻布) 素童くんと会って話すのは久しぶりですね。
山下素童(以下、山下) いつぶりですかね。最後に会ったのは今年の始めだったかな。僕の働いてるゴールデン街のプチ文壇バー「月に吠える」にアザケイさん、たまに来てくれるんですよね。
麻布 そうそう。知り合い連れてよく飲みに行きます。
山下 うん。だから僕は割と仲良しだと思ってます(笑)。
麻布 でも、実は二人でこうやって落ち着いて話すのは初めてなんじゃないかな。最後に「月に吠える」に行ったときもライターの佐々木チワワが隣にいたし。何話しましょうね。
山下 僕は麻布さんに聞きたいことがたくさんありますよ! まず、麻布競馬場として本を出してから人生変わったかどうか、聞いてみたい。
麻布 いや、それが全く変わらなくて。僕は実社会での名前と「麻布競馬場」を完全に切り離してるから、周りの人たちには本を出したことを話してないんです。うっすら気づいてる友達もいるみたいですけど、みんなそっとしておいてくれる。なので、本を出したことが普段の暮らしに影響を与えたかというと、そんなことないのが実際のところ。
山下 でも、アザケイさん本人に変化がなくても、ネット上での見られ方が変わったりするでしょ?
麻布 それはありますね。例えば、僕が本を出すことが決まったら、noteでエモい文章を定期的に書いてる人たちが急に怒りだしました。「おいおい、あんなくだらないツイートを本にするなんて集英社はおかしい」「そんなものを買う読者もおかしいだろ」とかって。そういう反応を見てると、書籍というフォーマットっていつの時代も愛されてるんだなって感じますね。出版社がある文章に文学的な価値付けをするとそれに対して猛反発が起きるというのは、世間の人たちが本を何か特別なものだって考えてる証拠なんですよ。やっぱり本にはある種の権威性があるんだなぁって改めて思いました。僕は小学生の頃に初期の2ちゃんねるを読むようになって以来、ずっとネットの文章コンテンツに親しんできたから、紙の本だけが偉いみたいな感覚はあまりないんです。あと、タワマン文学は文学なのかみたいな論争がTwitterでよく繰り広げられてるけど、そこで言われる文学性とかもいまいちわからない。自分で本を読んだときに「これは文学か否か」なんて仕分けをしたこともないし。読書好きの人ってみんなそんなふうに考えるんですかね。
山下 僕も読書好きじゃないからわからない(笑)。でもゴールデン街にも麻布競馬場は文学じゃないって言い張る人、いますね。
麻布 いるよね。佐々木チワワと「月に吠える」で飲んでたときも、店にいた大学生が麻布競馬場の悪口を言い始めた(笑)。あんなの文学じゃないって(笑)。面白いからTwitterで実況したんです。
麻布競馬場 @63cities
横の席で「麻布競馬場は慶應で上手くやれなかったコンプレックスを文学に転換しているだけであって僕はそれを文学とは認めない‼️」という話を聞いています
午後11:38 · 2022年9月21日
麻布競馬場 @63cities
きのう佐々木とゴールデン街の某文壇バーでお酒を飲みながら月に吠えてたらシュッとした慶應生が「第一志望は外銀でェ〜」と横の女の子に絡んでてゴールデン街の多様性というか消費される記号性を感じたし確かに彼がそこで語るべきは「麻布競馬場の本のディス」なので完全に解釈一致だった
午前11:10 · 2022年9月22日
山下 彼、その後も「月に吠える」にはよく朝方に飲みに来てくれるのですが、「僕は麻布競馬場に晒された男です。僕たちみたいな人間は、他人におもちゃにされて、消費されて、そうやって生きていってなんぼなんすよ!」ってな感じで、”麻布競馬場にTwitterで晒された男”としてしばらく飲んでましたよ(笑)。