2025.4.1
カップ麺中毒の男、自炊はじめました。今日が私たちの「卵焼き記念日」です。【爪切男『午前三時の化粧水』一部試し読み】
書籍の試し読み企画として、全38篇のエッセイから著者・爪さんがセレクトしたエッセイを、その理由も添えてお届けします。
全4回の第2回は、人生2度目の同棲生活が始まった回でした。
僕らの卵焼き記念日

およそ十年ぶり、人生で二度目となる同棲生活がスタートした。
いびき問題に端を発し、生活習慣を本格的に見直すには半同棲ではらちが明かないという結論からだ。一緒に暮らしてあげるからマジで生活を変えましょうという恋人からの提案を受けての同棲生活と相成った。まったくおなごというものは、こういうときの決断力はもの凄い。
せっかく一緒に住むのならということで、二人して新しい家に引っ越すことにした。十何年以上お世話になった中野を離れ、四十代にして世田谷区民になる私。中野と高円寺の悪友たちから「四十歳を過ぎてこの土地を出ていくのは裏切りに近い行為だと思え」と怒られるも「まあ、女のケツを追っかけて引っ越すんだから、あんたらしいな」とも言われた。そうです。私は女が絡まないと引っ越しをしないのです。
築年数は古いが、見た目もそれなりに綺麗で日当たりの良いベランダ付き、風通しの良さは抜群、厚めの壁で防音バッチリな上に角部屋という有料物件を運良く発見。ここが私たちの愛の巣になる。私にとっては虎の穴になるかもしれないが。
いっこうに荷解きが終わらず、段ボール箱が積み上がったままのリビングの床に大の字になって考える。誰かと生活を共にする上で大切なことって何だろう。
金銭面に関するルールをしっかり決めること。お互いの生活リズムを把握すること。家事の分担を明確にすること。これだけは言われたくない、されたくないNG要素を事前に伝え合うこと。どれも大事な約束事だが、私たちにとっては「食事」が大きなテーマになりそうだった。
ルイボスティーとの運命的な出会いにより、長きにわたる炭酸飲料の過剰摂取から抜け出したものの、主たる食生活の乱れは全くといっていいほど改善されていなかった。
もはや主食レベルで口にしているカップ麺。不規則なリズムで書き仕事を行う私にとって、いつでも簡単に作れるカップ麺は〝お口の恋人〞といっていいほどかけがえのない存在である。三食すべてカップ麺という日も決して珍しくなかった。
嫌いなカップ麺なんてひとつもないのだが、とくにマルちゃんの「赤いきつね」と「緑のたぬき」を偏愛している。普通に食すだけでは飽き足らず、 「赤いきつね」の麺を「緑のたぬき」のスープで食べる〝マッシュアップ〞や、きつねとたぬきを豪快に混ぜ合わせる〝ミックス〞など、様々な食べ方を発明し、優雅なカップ麺ライフを楽しんできた。
だが、我が家の「台所」の主である恋人によって、カップ麺を食すことは固く禁じられることとなった。もとより覚悟はしていたものの実に悲しい。炭酸飲料だけでなく、カップ麺にもさよならを。両の翼をもぎ取られたような深い深い絶望に私は胸を苛まれる。
いや、まだ交渉の余地はある。二度と食べられないなんてさすがにひどすぎる。年に一度の七夕の日を胸を焦がして待つ彦星と織姫のように、年に一度ぐらい、カップ麺を心ゆくまで食べられる日があったっていいじゃないか。
強い気持ちを持って恋人に訴えかける。この人だって鬼ではない。話せばきっとわかってくれる。熱意が伝われば「うん、わかった。でも年に一度と言わず月に一度食べてもいいよ」といじらしいことを言ってくれそうな気もする。うん、勝算は充分にある。「じゃあ年に四回食べていいよ。春、夏、秋、冬で季節ごとに食べるの面白そうじゃん」
鬼だ。鬼がいた。
いや、年一食が年四食に増えたのだから万々歳か。ここはポジティブに受け止めよう。春は春野菜をふんだんに盛り合わせた「サッポロ一番」を。夏にはちょっとしたお祭り気分を味わうために「ペヤングソースやきそば」を。中秋の名月を眺めながら、 「チキンラーメン」の上に卵を落とし、月見カップ麺といくのも乙なものだ。そして大晦日には、一年の総決算として「緑のたぬき」を年越し蕎麦として大いに食らおうじゃないか。