2025.3.30
深夜のドンキでTENGAより買うことが恥ずかしかった1本の化粧水が、私の人生を劇的に変えるとは!【爪切男『午前三時の化粧水』一部試し読み】
今回は書籍の試し読み企画として、全38篇のエッセイから著者・爪さんがセレクトしたエッセイを、その理由も添えてお届けします。
全4回の第1回は、プロローグでもある第1話から。
傷ついたりもしたけれど、今ではとても感謝しています。
ちなみに私が結婚したことをこの子供たちに伝えたところ、「嘘をつくな、この嘘つきゴブリンが!」と言われました。
太っちょゴブリンと午前三時の化粧水

どこまでも晴れ渡った抜けるような青空の下、家から徒歩三分の公園のベンチに腰掛け、ペットボトルに半分ほど残ったコーラをグイッと飲み干し、小さなゲップをひとつ、ふたつ、みっつ。
私は今、生きている。
四十二歳、男性、独身。己の書いた文章で日銭を稼いでいるので〝作家〞を名乗っても許されるはず。類まれな文才があるわけでもなく、運と巡り合わせだけでなんとかやってきた。思ったように作品が書けずに気を病むなんて繊細さは持ち合わせておらず、どんなにイヤな目にあっても腐ることなく文章を書き続ける図太さだけが持ち味だ。考えようによっては天職に就いたと言えなくもない。
自分が住む街の書店にデビュー作が並んでいるのを目にしたときは、思わず目頭を熱くしたものだが、今となってはそれもはるか昔の記憶。今、原稿を書き上げた後に残るのは感動や達成感ではない。無事に締切を守れたという安堵だけだ。まあ、いつまで続けられるかはわからぬが、必要とされるうちはその期待に必死で応えたいと思っている。
今日も徹夜で原稿を書き上げ、平日の真っ昼間から大好きなコーラで一人祝杯を上げている次第だ。
もう一度言おう。私は今、生きている。
「わ〜! きゃ〜! うぉ〜!」
学校帰りのやかましい小学生の群れが、遊歩道を駆け抜けていく。私の住むアパートの目の前が小学校ということもあり、天真爛漫でいたいけな子供たちの姿をよく見かける。独り身のおじさんの寂しい心を癒やすセラピー代わりとして役立っている。
「子供たちよ、よく遊び、よく学べ」
心の中で無責任なエールを送っていると、私から一定の距離を保ったところで、先程の小学生たちがこちらを指差し、口々に何かを言っている。耳を澄まして聴いてみよう。
「太っちょゴブリン、今日もいたね」
「コーラ飲まないと死んじゃうのかな、いつも飲んでるよね」
「ああいう大人にだけはなっちゃダメだよね」
ゆっくりと目を閉じ、もう一度耳を澄ませてみる。何度聴いても、子供たちは私のことを〝ゴブリン〞と呼んでいる。ゴブリンってアレだよな。『ハリー・ポッター』シリーズや『ロード・オブ・ザ・リング』のようなファンタジー映画に出てくるアレのことだよな。デブではなく太っちょというところに少し可愛げがあってまだ救いがあるな……なんて無理やり前向きに考えてみても空しいだけだった。
「ヴァァァップ!」
ゴブリンの鳴き声のような大きなゲップをかまし、涙がこぼれそうになるのを誤魔化す。
ああ、私は今、泣きそうです。
帰宅後、風呂場の鏡で己の姿をマジマジと観察する。鏡なんてもう何ヶ月もまともに見ていなかった。まずなんといっても顔色が悪い。不摂生と飲み過ぎにより、肌は鮮やかな土色に。真っ赤に充血した瞳、ダルンとした目の下のクマ、顔のむくみ、乾燥してカピカピになった唇などなど、見るに堪えない無残な有様だ。身長一六八センチ、体重一二五キロの肥満体とこの醜悪な容姿が合わされば、見事な〝ゴブリン〞の出来上がりだ。子供たちは噓を言っていなかった。しかし、デブやアホといった直球のフレーズを使わずにゴブリンとは、ガキンチョにしてはなかなか悪口のセンスがあるじゃないか。その豊かな感性をどうか別の方向に使ってくれないものか。
なぜ私はゴブリンになってしまったのか。まあ、思い当たる節は山ほどある。昼夜逆転の不規則な生活リズム。コンビニめしを中心としたドカ食いの日々。外食をすればラーメン、カレー、とんかつを必ず大盛りで、といった高カロリー至上主義を貫いている。運動らしい運動は何もせず、ひたすら部屋にひきこもって執筆を続ける生活だ。
さらに始末の悪いことに、己の不摂生を自覚していながらも、中島らもや西村賢太といった無頼派作家への憧れから、この容姿こそが自分に適したものなのだ、もっと言うなら、これが私に合った〝かっこよさ〞だと思い込んでいたこともモンスター化に拍車をかけた。作家としての実力はもとより、人としても己の身の丈に合わない生活を続けてきた結果、いつのまにか私はゴブリンになっていた。
