2020.9.20
硫黄島の洞窟に置いてきてしまったもの…『海の怪』より「繋がってはいけない」
防衛大生だった娘婿の身に実際に起きた出来事。
たまたま私もその場に居合わせて、身の毛がよだつ瞬間を共有することとなった。
新調したばかりの彼の眼鏡が割れた際の「パキッ」という音が今も耳に残っている。
目の前にいた眼鏡屋の店員も一緒にその音を聞いていた。
今どきの眼鏡は、フレムームが歪んだり、レンズに傷がついたりすることはあっても、そう簡単に真っ二つに割れることはない。
店員の知識と経験からしても、レンズがこんな割れ方をするはずがないという。
この世界には現世の者が決して繋がってはいけない場所があるのだとあらためて感じた。
パラオ諸島のペリリュー島。
赤道に近いこの島は、太平洋戦争の激戦地だ。
太平洋戦争史上、最も激しい8時間とも言われるアメリカ軍のペリリュー島上陸作戦。さらに上陸後、2カ月あまりにわたって日米の死闘が繰り広げられた。
約70年前、美しい白砂のビーチとサンゴ礁の青い海は、銃声と叫び声が交錯する中、流血で染まっていたのだ――。
船から上陸しようとするアメリカ軍を迎え撃つためには、通常であれば海岸線に機銃をずらりと敷設する。しかし、当然ながらアメリカ軍もそんなことは予想している。上陸作戦の前に、海岸線に向けて徹底的に絨毯爆撃を行うのだ。いくら機銃を並べても、大量の艦砲射撃と飛行機からの爆撃ですべてが破壊される。
日本軍もそれを読んでいた。そこで、機銃は海岸線に一切置かず、島内の洞窟に保管しておくことにしたのだ。ペリリュー島のたくさんの洞窟を要塞化することで爆撃から逃れることとなり、武器をすべて洞窟に隠してアメリカ軍に大反撃し、大打撃を与えた。
ペリリュー島の戦いでは、日本軍約10,500人中、生存者はわずか34名。しかし、洞窟陣地などを利用した日本軍の組織的なゲリラ戦法はアメリカ軍を苦しめ、のちの硫黄島の戦いへと引き継がれていく――。