2019.11.26
選手&監督として近鉄バファローズで優勝した唯一の男! 梨田昌孝の「近鉄魂」とは!?
有田修三という強烈なライバルが、梨田を育てた!
西本への反抗から“こんにゃく打法”が生まれ、梨田と有田のライバル関係がチームのエンジンになっていく。スターティングメンバーから外れた梨田は自軍ベンチで有田のリードを観察していた。
「キャッチャーというポジションはケガが多い。有田さんが守ってくれれば、僕は休めて、体をケアができる。有田さんの配球をじっくり見たし、バッターのボールの見逃し方やピッチャーの癖をチェックしました。実際にマスクをかぶるときとは違う角度から野球を見ていました」
常にもうひとりのキャッチャーと比べられる緊張感が梨田を育てた。有田のリードが梨田を大きくした。同じことが、有田にも言える。
「ふたりのキャッチャーがいることで、チームとしての配球の幅は広がったでしょう。僕は有田さんのリードを見ながら『そんな球を投げさせるのか』『俺ならこうするのに』とシミュレーションをしていました。『ああ、やっぱりこれか』『全然、違ったな』と答え合わせをしながらね。それがすごく僕は生きたと思います」
明日の試合、次の打席で出番があるかもしれない。これほど生きたレッスンはなかなか経験できないだろう。ふたりのライバル関係は、1985年シーズン途中に有田が読売ジャイアンツに移籍するまで続いた。
「たしかに、ふたりの性格はまったく違った。あんまり好きな性格じゃなかったけど、それは有田さんもそうだったかもしれないね(笑)。もちろん、ふたりで食事にいったことはありません。大勢で飲んでいるときには、どんなことを話すのかをしっかり聞いていましたけど。気になる存在でした」