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完全無欠のヒーロー・ディープインパクトとは何だったのか【人生競馬場 第9回】

ノンフィクション『学歴狂の詩』が続々重版・各界絶賛の佐川恭一による競馬エッセイ連載!

前回は、負け組の星・ハルウララとそのブームについて論じました。
今回は、誰もが知る完全無欠のヒーロー、ディープインパクトについて綴っています。
イラスト/伊藤健介
イラスト/伊藤健介

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三冠馬たちの特徴をすべて兼ね備えた存在

 2005年から2006年にかけて、前回のハルウララと入れ替わるようにして競馬界を席巻したのは、おそらく競馬に興味のない人でも名前ぐらいは聞いたことがあるであろう名馬・ディープインパクトである。ディープインパクトもまた私の好きな三冠馬なのだが、三冠馬だというだけでここまで社会全体の注目を集めることは、はっきり言って難しい。1983年のミスターシービー、1984年のシンボリルドルフ、そして第一回で取り上げた1994年のナリタブライアンといった三冠馬たちの人気は、ひいき目に見ても競馬界の枠組みを飛び出していたとは言いがたかった。まずその理由について少し考えてみたい。

 当時競馬界隈で言われていたのは、ディープインパクトはミスターシービー以後、自身の登場までの三冠馬たちの魅力的な特徴をすべて兼ね備えた存在だったということである。すなわちそれは、ミスターシービーの戦法・シンボリルドルフの安定感・ナリタブライアンの勝ち方のことを指している。ミスターシービーは後方から一気に追い込む競馬でファンを魅了したし、シンボリルドルフは生涯成績16戦13勝(2着1回、3着1回)と抜群の安定感を見せた。ナリタブライアンは三冠レースのすべてで2着に大差をつけて圧勝した。しかしミスターシービーは追い込みの戦法しか取れないこともあって成績にムラがあったし、シンボリルドルフは確実に勝つ代わりに先行(前の方でレースをすること)から少しだけ前を差し切るという地味なレースが多く、ナリタブライアンも古馬になってからは安定感を欠いた。しかしディープインパクトという馬は、この三つの特徴をうまく共存させることができていた。ディープはいつも届くかどうかわからないほどの後方から一気に飛んできたし、戦績は14戦12勝(2着1回)、しかも弥生賞以外の優勝レースすべてで2着馬に2馬身以上の差をつけている。確かに過去にないほどの、完全無欠のヒーローという他はなかった。『ディープインパクト―無敗の三冠馬の真実―』の著者・ライターの島田明宏氏はディープインパクトについてこのように記している。

 この馬の最大の武器は、強烈なラストスパートである。
 いつもディープは、
 ――ここからでは前の馬をかわせないのでは……。
 と絶望させられるような後方からレースを進め、私たちをハラハラさせながら、奇蹟的な逆転を見せてくれる。「奇蹟」というのは何度も起きないからそう呼ばれるのだが、ディープは走るたびに「奇蹟」としか言いようのない末脚を使う。競馬では、よく「他馬がとまって見える」という表現をする。ディープが最後の直線で見せる驚異的なスピードは、まさに別の次元を走っているかのようだ。
 恐ろしく強い。それも、成績的には「独裁者」と言っていいほど他馬を圧倒している。なのに「ヒール(悪役)」にならない。それはなぜか。
 ひとつは、この馬の強さが、相手をねじ伏せるような強さではなく、ただ自分らしく走ったら勝ってしまったという「天然」を感じさせる強さだからだろう。もうひとつは、そのかわいらしいルックスゆえではないか。ディープは、ほとんどのレースで、ゴールのかなり手前で勝負を決めているので、最後は流すように軽く走っている。そのときのディープは、耳を前にむけてピンと立て、担当の市川明彦厩務員が「お坊っちゃま」と呼んでいるのが「なるほど」と思える、愛らしい顔になる。

 ディープインパクトの末脚は確かに「奇蹟」と呼べるレベルのものだった。安定感、派手さ、圧倒的強さという三拍子が揃いながらヒールではなくヒーローとしての扱いを受け続けることができた理由を、島田は「天賦の才」「ルックス」から説明しているが、彼の強さについてもっとも詳しいであろう存在、鞍上をつとめる武豊はどのように考えていたのか。日本ダービーを獲った後、彼はディープインパクトについて競馬雑誌『優駿』2005年7月号のインタビューに答え、その特徴について詳細に語っている。

「スタート以外は本当に言うことを聞いてくれる」
「一瞬だけじゃなく、ド~ンと長い脚を使える」
「よっぽど体調が悪いとか、アクシデントがあったりとか、ぼくが下手に乗ったりとか(しない限り負けない)」
「(日本ダービーの)最後の直線では、『素晴らしい馬だなあ』と感動しながら追いました。こんな経験をしたのも初めてです。何か、人の心に訴えるものを持った馬ですよね」
「ぼくは、ずっと、こういう馬を探していた、という感じですね」
「あの馬の鉄が減らないのは、普段、前ガキしたりとか余計な動きをしないからだと思います。体重も軽いですしね」
「(走り方については)すごくバネの利いた、本当にピョーン、ピョーンと飛ぶような走法ですね。他の馬と走り方がちょっとちがうでしょ? 全身をよく使って、縮めて伸ばして、縮めて伸ばして……という動きを上手にして走る。それは、乗っていて感じます」
「頭がいいし、面白い子だなと思うことがあります。おとなしいと言えばおとなしいんだけど、嫌がることはすごく嫌がる。すぐ怒ったかと思えば、すぐ納得したりするし」
(一部抜粋)

 おおよそ以上のようなことを、武騎手はディープインパクトで日本ダービーを制した後に語っているわけだが、その時点で武騎手がここまで手放しで絶賛した馬は――私の記憶では――他にいなかった。かつて武は日本ダービーを勝てないと言われていたことがあったが、1998年にスペシャルウィークという実力馬で初制覇を成し遂げている。彼はGⅠ4勝を挙げたスペシャルウィークの能力を高く評価しながらも、「いつもいつも勝つ馬ではない」という評価を下していた。それに対してディープインパクトについては「負けない馬」だと言い切っている。周囲が弱いから楽に三冠が獲れたという意見もあるが、数々の名馬に乗ってきた武が初めての乗り味だと言っていたのだから、相手にかかわらず勝てる馬だったと見ていいだろう。

 また当時の武騎手は警戒心が強く、報道陣に自分の騎乗馬の癖や性格を話すことを嫌っていた。スペシャルウィークのダービー前も、情報をほとんど遮断してレースに臨んでいた。他馬陣営の耳に情報が入り、判断材料を与えてしまうことは得策でないからである。しかし、このインタビューではディープインパクトの個性にまで踏み込んだ話をしている。彼がここまで騎乗馬のことを語ったのは、1998年の宝塚記念を制したサイレンススズカ以来のことである。サイレンススズカはスタートからいきなり先頭に立ち、他の馬を大きく引き離してそのままゴールするという異例のレーススタイルをとっていた。つまりいくら癖を知られようと、レースに影響しない馬だったということである。しかしディープインパクトは後ろから追い込むタイプの馬なので、サイレンススズカとは事情が異なる。つまり、後ろからポジションを上げていく際に他の馬の影響を少なからず受ける。それにも関わらず武が上記のようなインタビューに応じたのは、ディープインパクトの癖や個性を知られたところで他の馬にはどうすることもできないという確信があったからだと推測できる。

 そんなディープインパクトは血統面でも父サンデーサイレンス、母ウインドインハーヘア(ドイツのGⅠ勝ち馬)と非常に恵まれていた。生産はノーザンファームという有力牧場で鞍上はトップジョッキーの武豊。これだけの条件が揃った「エリート」の登場を、当時の若者は好意的に受け止めたように思える。ゼロ年代、「負け組/勝ち組」という言葉が流行すると同時に「セレブ」という言葉が嫌味なく使われるようにもなり、純粋に憧れの対象として見る人も多くなっていた。私の記憶では、テレビでも「セレブ」の生活や持ち物が紹介される企画がよく見られた。「負け組」は「負け組」としてハルウララのような馬に感情移入しつつ、自分が手を伸ばしても届かないとあきらめるしかないような圧倒的勝ち組=スターに対して、嫉妬したりやっかんだりという感情よりも「すごいなあ」という素直な感情を強く持つ人も多かったのではないだろうか? しかしそれには、おそらく絶対に届かないほど「圧倒的」であるという条件が必要だった。ディープインパクトはまさに「圧倒的」、非の打ち所のない憧れの存在として適格だったのである。武はディープインパクトの代名詞として「英雄」を提案している。

「苦境に立たされそうな場面で必ずボクやファンを救ってくれるし、おまけに近年、売り上げに頭を痛める競馬会まで救ってくれた。強い上に必ずヒーローになる。だから“英雄”はピッタリ。そう思いませんか?」(『スポーツニッポン』2005.5.30)

 このディープインパクトの登場を、ハイセイコーブームやオグリキャップブームを体験した上の世代、「昭和ド根性世代」(※偏見かもしれません)はどのように受け止めたのだろうか。天才がただただ圧勝する場面には根性や努力という言葉は似つかわしくなく、自己投影の対称としては無理がある。また戦争や学生運動の記憶を持つ世代に根強いはずの「エリートへの反感」が、私やそれ以下の世代ほど弱まったとは考えにくい。

 ちなみに八十年代後半、村上春樹の書いた『ノルウェイの森』には学生運動に冷ややかな目を向ける主人公や周囲の人物が登場するが、それでも(直接的に闘争に参加せずとも)失われてしまうものがあるという悲哀、そういう大きな流れの影響を受けざるをえない「どうしようもなさ」が描かれていた。三島由紀夫が戦争に参加できなかった喪失感に死ぬまで苛まれていたように、戦争、闘争、革命というものは、そこに参加しない/できないものをも避けがたく巻き込み、消えない傷跡を残すものなのである。村上春樹は当然ながら学生運動の記憶を捨てることができず、『ノルウェイの森』でその総括をしているのだ(と私は思っている)。ちなみに『ノルウェイの森』が書かれた時期、日本はバブル絶頂期だった。私のような現在三、四十代以下の世代だと、「バブル世代は浮かれて遊びほうけていた」という画一的なイメージを持っていることが多いように思うが、そんな時代のなかで「お前ら、革命を夢見て散っていったあいつらのことを忘れたのかよ」と反感を抱いていた人間もまた少なくないはずなのである。

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佐川恭一

さがわ・きょういち
滋賀県出身、京都大学文学部卒業。2012年『終わりなき不在』でデビュー。2019年『踊る阿呆』で第2回阿波しらさぎ文学賞受賞。著書に『無能男』『ダムヤーク』『舞踏会』『シン・サークルクラッシャー麻紀』『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』など。
X(旧Twitter) @kyoichi_sagawa

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