2026.1.30
御神馬‟あかりさん”に癒されてさらに運気アップ! おすすめ開運スポット「神田明神」の歴史を深堀り!【2026年版 水晶玉子のエンパワメント予言&開運旅案内 連載第4回】
そんな時こそ“心のお守り”として、占いを知り、上手な付き合い方を知ってもらえたら。
昨年に続き、お話を伺ったのは、東京オリンピックの危機やコロナ禍など多くを的中させ、累計76万部を突破したベストセラーシリーズ『水晶玉子のオリエンタル占星術 幸運を呼ぶ365日メッセージつき 開運暦2026』を発売した、占術研究家の水晶玉子さん。
今回も空海が日本に伝えた宿曜経をベースに、インドの占星術などを織り交ぜて現代に合わせた内容で伝える水晶さん独自の「オリエンタル占星術」をもとに、十干や干支など、さまざまな占術を交えて読み解く2026年の運勢を紹介。
大転換期を軽やかに、前向きに乗り切る秘訣や術を、短期連載で紹介します。
前回に続き、連載の最終回では水晶玉子さんが2026年の開運スポットとしておすすめしている「神田明神」について深く掘り下げます。
お賽銭を納めて願い事を伝えるだけでなく、歴史を知って境内をゆっくり散策したり、近くの開運スポットを巡ると、その土地のエネルギーを感じられ、気持ちも上向きに。2026年の“運を開く旅”にぜひお役立てください。
取材・文/広沢幸乃
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午年の2026年は御新馬が奉献された神社へ
運を開く上で、水晶玉子さんも大切にしているのが神社へのお参り。毎日の生活を守ってくださるご自宅近くにある氏神さまへのお参りほか、月初めの一日にお参りをする「朔日詣」。さらに出張で訪れた土地の神社に足を運ぶことも多いそう。
前回の記事では、2026年の開運スポットとして午年の守護神である勢至菩薩が祀られている神社仏閣や、神様の乗り物としての役割を担う御神馬が奉献されているなど、馬にゆかりがある神社仏閣は特にご利益が期待できると伺いました。
最終回は、水晶玉子さんおすすめの2026年パワースポットの一つ、御神馬の“あかりさん”がいる「神田明神」を訪問。家庭円満から商売繁盛、事業繁栄、開運招福、厄災厄除、縁結びまで多くの御神徳を持っている神田明神は、地域の方や近隣のビジネスパーソン、さらに観光客まで、年間通して多くの参拝客で賑わいます。また、歌舞伎の音羽屋とのご縁も深く、2025年は尾上菊五郎、尾上菊之助、尾上丑之助が三世代で襲名披露のお練りを行ったことでも話題になりました。
今回、広報担当で権禰宜の加藤哲平さんに歴史や見どころ、さらに耳寄りな情報も教えていただきました。

――改めて歴史から教えていただけますか?
神田明神の創建は奈良時代の天平2年、西暦で言うと730年と言われています。出雲国の士族・真神田臣の一族が東日本の開拓にやって来て、現在の大手町にあたる武蔵国の柴崎村に、故郷の神様である大己貴尊を祀ったのが最初と言われています。
もともとは現在の大手町にあたる武蔵国の柴崎村に鎮座していましたが、多くの方にお参りいただくようになったのは江戸幕府を築いた徳川家康公が大きく影響したようです。理由を遡ると、きっかけとなったのは、武士のルーツとして名高い平将門。戦の先頭に立つ勇猛さと弱き者を助ける優しさ、荒れていた関東の政治改革を行う聡明さを併せ持つ人物として記録されていますが、時の朝廷に反逆して“平将門の乱”を起こし、京都でさらし首に。その首が故郷の茨城県坂東市を目指してて飛んでいき、途中で力尽きて落ちたのが、当時の神田明神から100歩のところだったそうです。大手町にある「将門塚」がその場所と言われています。
――なぜ神田明神にお祀りされるようになったのでしょうか?
時は流れ、鎌倉時代後期の1300年頃。その首塚は荒れ果て、周辺には将門の祟りが原因と言われる疫病が大流行。そこで時宗遊行僧の真教上人が将門の霊を神田明神に奉祀し、御祭神としてお迎えしました。もともと徳川家康公が、平将門を崇拝されていたことから、その御祭神が祀られた神田明神で1600年に起きた関ヶ原の戦いに備えて天下統一を祈願。奇しくも9月15日の「神田祭」の日に勝利を収めたことで、ますますご崇敬されるように。
二代将軍・徳川秀忠公時代に江戸城の拡張と整備を行った際、表鬼門(北東の方角)にあたる今の場所に遷座します。以降、“江戸総鎮守”として、上野の寛永寺とともに表鬼門をお守りしています。一方で、江戸城の南西の方角にあたる裏鬼門の守り神になったのは、増上寺と日枝神社。つまり江戸城を中心とした江戸の街は、その4つの神社仏閣によって守られた宗教都市とも言えます。現在も、この4つを巡拝される方は非常に多いんですよ。
――徳川家に代々崇敬された神社でありながら、「神田明神」は親しみやすさを感じますね。
江戸後期の御社殿には、そこかしこに徳川家の家紋である葵の御紋が施されていたと記録されています。武家屋敷が多かった日枝神社界隈に比べ、神田明神の氏子地区は、神田、日本橋、大手町、秋葉原あたり。下町で、町人にも身近な存在だったからこそ、庶民的で賑やかなのかもしれませんね。一方で、じつは江戸時代に三度も大火で焼失した過去もあるのです。
――幾度の災難に見舞われたのにも関わらず、そのたびに復旧し、今に至るのですね。
悲しいことに大正12年の関東大震災でも、御社殿は焼失。それまでは木造建築が常識でしたが、“二度と焼失しない御社殿を”という強い思いから、昭和9年に当時の神社建築としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート、総漆朱塗りを再建しました。おかげで第二次世界大戦での東京大空襲の戦火では社殿のみ僅かな損傷だけで大きな被害を免れました。
――今では再現が難しい技術や構法がふんだんに盛り込まれた意匠が随所に施されていて、参拝がますます楽しみになりますね。境内には小さな神社の摂社・末社もたくさんありますが、おすすめの参拝方法はありますか?
手水舎で清めていただいたら、まずは御社殿へ。縁結びの神様の“だいこく様”こと大己貴尊、商売繁盛の“えびす様”の少彦名命。そして平将門命という有名な“三柱の神々”が祀られています。


特に本殿とご縁の深い神様を祀った摂社では、“江戸の守り神”として風格を漂わせる「江戸神社」、「大伝馬町八雲神社」、強力な厄除けの神様として名高い「小舟町八雲神社」も。さらに摂社に次ぐ格式を持つ末社には、江戸庶民の食を支えた市場の守護神「魚河岸水神社」を含めて6つの社があります。また、目には見えない神様を具現化した御尊像も境内のあちこちにありますので、こちらにも注目いただけましたら。
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