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BEGIN、HY、MONGOL800……異端の経営学者が読み解く、音楽と共に生きる沖縄ミュージシャンのビジネス構造

自身の壮絶な婚活体験がもとになった『婚活戦略』が、学術書ながら現在5刷、異例のヒット! いま大注目の経営学者・高橋勅徳さん初のエッセイ連載です。 高橋さんが提唱するのは、競争せず気楽に稼ぐ「そこそこ起業」。 前回は、大工だった高橋さんの父親のエピソードが語られました。 今回取り上げるのは、沖縄で独自の経済圏をつくっているインディーズバンドたちです。
イラスト/德丸ゆう
イラスト/德丸ゆう

沖縄に伝説のバンドがいる

「今年の1位は、BEGINの『オジー自慢のオリオンビール』です!」

 沖縄大学で専任講師の仕事を得て、那覇に移住した2002年のクリスマスのことです。

 年内の仕事も終わり、愛車で買い物に走っていたときに聞き流していたローカルFM番組で発表された年間リクエスト曲数1位が、「オジー自慢のオリオンビール」でした。

 ちなみに、2002年のオリコンの売上ランキング1位は浜崎あゆみの「H」、2位が宇多田ヒカルの「traveling」でした。「オジー自慢のオリオンビール」は、2000年代の2大歌姫を抑えて、沖縄県内のリクエスト1位を獲得していたのです。

 当時の私は、「えっ、BEGIN? まだやってたんだ」とビックリしました。私からすると、BEGINというと「三宅裕司のいかすバンド天国」で2代目グランドイカ天キングを獲得し、「恋しくて」でヒットを飛ばしたあとメジャーシーンからは消えたバンドという、今となっては大変失礼なイメージしかありませんでした。

 明けて正月、高校時代からバンド活動を続けていて、ハードロックからジャズ、クラッシックまで何でもござれの音楽マニアの地元の友人にその話をすると、笑いながら一枚のCDを私に紹介してくれました。

「沖縄ロックのレジェンドや。1970年代には全国ツアーするくらいの人気で、今でも活動しているんやで」

 バンドの名前は「紫」。おそらく、沖縄出身ミュージシャンとして、初めて全国ツアーを展開した伝説のバンドです。メンバーを入れ替えつつ、王道的なストレートなロックを、今もなお追求するかっこよいオヤジたちのバンドです。

「すごいよな。こんなストレートなロックが、未だに生き残って、今でもこうやって活動できて、CDも売れているのが沖縄なんや」

 そう言われて、改めて沖縄のミュージシャンを観察していくと、いかに「音楽とともに生きていくのか」という点で、本土ではなかなか見られない独自の行動をしていることに気付かされました。

音楽=稼ぐための立派な手段

 沖縄は、非常に音楽や芸事に積極的な地域です。私が沖縄大学に勤めていた頃、学生が20人くらい集まれば、必ず何人かは三線を弾いて沖縄民謡を歌えました。伝統舞踊のエイサーとカチャーシーは、ほぼ全員踊れる。夕方に住宅街を歩いていると、どこからか三線の音が聞こえてくるなんて当たり前でした。

 また、沖縄は1972年まで米軍統治下にあり、コザや金武町など米軍基地の近い町では米兵向けのクラブやライブハウスが経営されていて、そこでロックやソウル、ブルースを沖縄県民のバンドが演奏していました。その中で「紫」が誕生したわけなのですが、当時、ステージの演奏で稼げる金額が、高校教師の給料よりも高かったと言われています。

 沖縄県民にとって音楽とは日常的に楽しむ趣味や娯楽であるのと同時に、立派な稼ぐための手段である、と言っても過言じゃないかもしれません。そして、「稼ぐ」という点に注目すると、沖縄県で音楽が盛んになった、独自の仕組みも見えてきます。

 まず沖縄県には、居酒屋でのライブスペース等も含めるとライブハウスが500軒以上あると言われています(沖縄ライブハウス協会調べ)。東京都の場合、正確な数字はわかりませんが、ネット上で確認できる限り700軒ほどのライブハウスが経営されています。沖縄県の人口は東京都の1/10ですので、人口あたりのライブハウスの数は7倍ほどあることになります。

 このライブハウスの数の多さは、二つの意味があります。まず単純に、ライブハウスに足を運び、音楽を楽しむ人口が沖縄県で多い。インディーズバンドにとって、ライブハウスはパフォーマンスと自己実現の場であるとともに、バンド活動を継続していくにあたって大事な「稼ぎ」を得られる場でもあります。最初の頃は会場をおさえたり、機材を準備したりで持ち出しのほうが多いのは当たり前ですが、人気が出てファンが多くなればチケット収入や物販収入で「稼ぐ」ことができるようになる。沖縄県のライブ人口の多さは、単純に音楽活動を継続していくことのハードルを下げてくれます。

 そしてもう一つ面白いのが、ミュージシャン自身がライブハウス経営を手掛けるケースも多いことです。先述の「紫」もかつては自前のライブハウスを保有していましたし、沖縄民謡のポップアレンジで有名な喜納昌吉も国際通りでライブハウスを経営しています。人気ミュージシャンが常駐しているライブハウスであれば、ファンが常連客として通い安定した「稼ぎ」が得られます。当然、毎日ステージに上がることは体力的にも難しいですから、見込みのある後輩バンドをステージに上げていくプロデュース的な活動もしていくことになります。その中から次世代の人気ミュージシャンが生まれ、客を呼ぶという好循環が沖縄で生み出されているのです。

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高橋勅徳

たかはし・みさのり
東京都立大学大学院経営学研究科准教授。
神戸大学大学院経営学研究科博士課程前期課程修了。2002年神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了。博士(経営学)。
専攻は企業家研究、ソーシャル・イノベーション論。
2009年、第4回日本ベンチャー学会清成忠男賞本賞受賞。2019年、日本NPO学会 第17回日本NPO学会賞 優秀賞受賞。
自身の婚活体験を基にした著書『婚活戦略 商品化する男女と市場の力学』がSNSを中心に大きな話題となった。

Twitter @misanori0818

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