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老婆か妖婦か。激しい魔女狩りが起こった理由とは 第6回 社会の害悪の象徴として描かれる魔女

 魔女の迷信は下火になっても、魔女は童話や神話の中の存在のように描かれてゆく。老婆、もしくは若く官能的な女性のいずれかという描き方は変わらないが、後者はさらに文学的な要素を増し、「宿命の女(ファム・ファタール)」という性質が付与されてゆくようになる。その美しさや魅力で男性を惑わし、破滅の運命へとたどらせる女性という主題は、いつの時代も変わらず人気であったが、そうなると彼女たちの物語よりも美の方に重点が置かれるようになる。魔女キルケーも、視覚的に飾り立てられた一人の女性だった。
 十九世紀イギリスの画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスもまた、魔術と女性を絡めた主題を多く扱い、ホメロスの『オデュッセイア』やキルケーの絵も数点描いている。中でも、〈オデュッセウスに杯を差し出すキルケー〉(一八九一年)は、鏡の効果を利用した美しい作品である。画面中央には、虎の彫刻がほどこされた椅子が玉座のように置かれている。そこに腰を下ろすキルケーは、半ば透ける青い薄い衣をまとい、片方の胸ははだけている。左手で杖を、右手で杯を掲げた魔女は女王然とし、尊大な眼差しを投げかけ見下ろしている。彼女の足元と椅子の背後には野生の豚がおり、さらに椅子の周りには蛙や乾燥した薬草が散らばっている。豚はキルケーの調合した葡萄酒で姿を変えられたオデュッセウスの部下であり、薬草や蛙はその飲料に用いられた材料かもしれず、彼女の魔術を仄めかしているだろう。彼女の背後にある円形の鏡は、父である太陽神ヘリオスを象徴するものと考えられている。この鏡に映るものが、場面を説明する物語的な要素でもあるのだ。鏡面の右側には髭を蓄えたオデュッセウスが、左側には彼と部下を運んできた船と豚が映り込んでいる。この英雄も三匹目の豚も、直接画面に描かれてはいない。しかし、キルケーの眼差しの方向と鏡に映る姿から、魔女の玉座の前にいるのだろうとその位置関係は推測できる。同時に、その位置には画面を見つめる鑑賞者も含まれるのだ。つまり、画面の外にいる鑑賞者こそがオデュッセウスと同化し、キルケーの試練に向かい合い、かつ彼女の愛の対象となるのだ。しかし、鑑賞者にもまた、豚に姿を変えられるもう一つの可能性が残されている。鏡の左右に映り込んだ英雄と動物は、あたかも運命の岐路の結果のようである。キルケーの試練を乗り越えれば人の姿のままであり、かつ彼女の愛情を手に入れることができる。しかし、その誘惑に負けて杯を受け取れば、豚に姿を変えられ奴隷となり、一方的に魔女に思慕の眼差しを向けるより他ない。
 鏡の中に現れる画面内に見られない姿。この手法はヤン・ファン・エイクの〈アルノルフィーニ夫妻の肖像〉(一四三四年)以来のものであるが、ウォーターハウスは〈騎士ランスロットを見つめるシャロットの乙女〉(一八九四年)でも同じく鏡の仕掛けを用いている。外の世界を見ると死ぬという呪いのかかった姫君エレインは、塔にこもったまま日がな一日織物をし、魔法の鏡に映るものを眺め現実を垣間見る。ある日、鏡の中にアーサー王の宮廷の騎士ランスロットを見かけ恋焦がれ、塔から出た彼女は舟に身を横たえ、宮廷のあるキャメロットの方へ亡骸となって漂ってゆく。アルフレッド・テニソンの詩「シャロットの乙女」に基づいた主題は、この画家によって三点の油彩画として表された。そのうちの一つ、この一八九四年作の背景には円形の鏡が置かれている。鏡の右下(キルケーの鏡ではオデュッセウスの映る位置)に、画面内に描かれていない騎士ランスロットの横顔が映っている。そして、淡い緑の平原を蛇行する川は、これから先の展開で、エレインの乗った舟が流れてゆくことになり、死へと向かう運命を示唆している。この場合、キルケーとは逆に呪いにかかるのは女性の方であり、鏡に映らない恋慕の対象である騎士は、意図せずとも彼女に死をもたらすことになる。しかし、エレインの暗く燃え上がるような目は、画面の外という現実の方をすでに見据えているようだ。本来交わるはずのない彼女と騎士の視線を、観る者は代わりに担うことになる。
 また、キルケーのその艶めかしい姿と挑発的な目から、自らの美や魅力でオデユツセウスを従わせようとしているとも考えられる。そのために、この魔女が掲げる杯の中身は調合した薬ではなく、媚薬のようにも思われてならない。ラファエル前派の画家エドワード・バーン=ジョーンズの〈キルケーのワイン〉(一九〇〇年頃)には、向日葵ひまわりのある室内に食卓が整えられ、アンフォラ(古代ギリシャのワイン壺)に身をかがめたキルケーは瓶の中身をその中にあけている。画面奥の窓から見える穏やかな海を、船は静かに進んでゆく。この絵のキルケ―は、かつての魔女のように嵐を起こして沈没させることはない。そのために、この女性は歓待しようとする女主人にも、客人を愛情の虜にしようと企んでいるようにも見えるのだ。ウォーターハウスとバーン=ジョーンズの絵画には、キルケ―の深い知識や教養の高さを示す石板や書物という道具は姿を消している。その代わりに薬草や杖など典型的な道具が与えられ、彼女自身の肉体や美もまた、魔女の小道具へと姿を変えられていったのである。
 民間療法的な薬学や医学の知識を持つ女性たちに、悪魔と深く絡むイメージが結びつけられ迫害の対象ともなり、仕舞いには美しい悪女の姿までもが重ねられる。絵画から絵画へと飛び回る度に、幾重にも印象がまとわりつき、魔女人形のパッチワーク状の服のような有様となっている。古い民間信仰は小さな端切れとなって、ドイツ語の単語にも名残をとどめている。幾つかきのこの名称にも魔女という言葉が含まれ、ぎっくり腰は「魔女の一撃」と呼ばれている。腰ではなく頭に一撃を食らっただけでよかった、と内心安堵し、落ちてきた魔女人形を拾い上げる。さて戻そうか、と辺りを見回していたところ、友人が不思議そうに首を傾げた。この人形、居間の棚からぶら下げてあったのに、どうしてここにあるのかしら。友人の手の中にある魔女は、家の中を飛び回る機会を狙っているのか、小さくにたりと笑みを浮かべた。

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス〈オデュッセウスに杯を差し出すキルケー〉1891年 イギリス、オールダム[オールダム美術館]
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス〈オデュッセウスに杯を差し出すキルケー〉1891年 イギリス、オールダム[オールダム美術館]
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス〈騎士ランスロットを見つめるシャロットの乙女〉1894年 イギリス、リーズ[リーズ私立美術館]
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス〈騎士ランスロットを見つめるシャロットの乙女〉1894年 イギリス、リーズ[リーズ私立美術館]
エドワード・バーン・ジョーンズ〈キルケーのワイン〉1900年頃 イギリス、バーミンガム[バーミンガム美術館]
エドワード・バーン・ジョーンズ〈キルケーのワイン〉1900年頃 イギリス、バーミンガム[バーミンガム美術館]

$編集協力/中嶋美保

次回は4月26日(木)公開予定です。

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石沢麻依

1980年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部で心理学を学び、同大学院文学研究科で西洋美術史を専攻、修士課程を修了。2017年からドイツのハイデルベルク大学の大学院の博士課程においてルネサンス美術を専攻している。
2021年「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞、第165回芥川賞を受賞。
著書に『貝に続く場所にて』『月の三相』がある。

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