よみタイ

酒井順子「家族終了」

第14回 毒親

 では自分は、と考えてみますと、私もまた、自分の性格や不幸を「親のせい」としたい、という欲求を持っています。治したいのにどうしても治らない、性格のねじれ。多数派でいることが好きなのに、多数派ではない方向に寄りがちな、人生。その原因を親と結びつけて考えることができたら、性格の暗部や不幸は消えはしないものの、「なるほど」と納得できるのではないか、と。
 しかし、
「私の親は、毒親でした!」
 と堂々と宣言できるほどの親であったかというと、そうでもないのです。以前も縷々記した通り、笑いの絶えない仲良し家族であったわけではない、私の生育環境。今時の若者のように、親が大好きでしようがないとか、尊敬する人は親とか、そういうことでも決してありません。
 とはいえ手間も暇も、そしてお金もかけて親は私を育ててくれたし、殴られたり怒鳴られたりもしなかったし、清潔な服と栄養豊かなご飯を与えられ、きゅうりをカリカリ噛むだけで、
「まぁ、いい音!」
と、褒めてもらうことができた。家庭における光と闇のコントラストは大きかったものの、親には十二分なことをしてもらったわけで、毒親呼ばわりするのは申し訳ない、と今になって思います。
 自分が大人になってみると、「親もまた、その親が育てた子である」という事実も、わかってくるものです。父親と母親がそれぞれ育った時代と環境を考えてみれば、「あのような性格になるのもまぁ、無理はないのかも」という気がしてくるわけで、自分の性格と人生も、親、親の親、さらにその親‥‥と、様々な人物が紡いだ因果が絡まり合った結果なのでしょう。
 私が普通に結婚できなかったのは、円満な夫婦生活を送ってこなかった親のせいに違いない。‥‥と私は思うことにしているのですが、それは一つの方便なのでした。親のせいにしておくと、責任を負わなくて済むような気がするもの。「悪いのは私ではない。仕方がなかったんです」と、思いたいのです。
 しかし、様々な不幸や不都合を親のせいにするのは、いい加減に終わらせなくてはならない時期が、来ているようです。親からの遺伝や教育が人生にもたらす影響は、確かに大きい。けれど、人生は親からの遺伝や教育によってのみ、決定づけられるものにも非ず。若い頃は「親のせい」にすることができる部分もありましょうが、その先は「自分のせい」になってくるのです。
 例えば、親が子供に箸の持ち方を正しく教えなかったとしても、ある程度の年齢になったら、「自分の箸の持ち方はおかしい」と自分で気づき、自分で直すことができる。同じように、性格の歪みも人生の歪みも、途中までは親のせいにして責任放棄することができても、その後は自分でどうにかしなくてはならない。
 外見は、どんどん親と似てくる昨今。声などはほとんど、かつての母親と「同じ」とすら言われます。しかし親と似てくるお年頃というのは、中身において親と決別しなくてはいけない時期なのでしょう。不幸や歪みを親のせいにしているうちはまだ、親に頼り、甘えているのと同じ事。親からの影響が好ましくないものであったならば、それを自分の力でどうにかすることが、本当の意味で親の手を離れるということなのではないかと、五十代の今にして思うのでした。

*ご愛読ありがとうございました。
こちらは、「よみタイ」未掲載の前編原稿とあわせ3/26(火)に単行本として発売されます。刊行記念イベント情報も、近日中にお知らせいたします。お楽しみに!

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酒井順子

さかい・じゅんこ●1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。広告会社勤務を経て執筆専業。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞を受賞。著書に『おばさん未満』『男尊女子』『女子と鉄道』『源氏姉妹』『an・anの噓』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』など、現代世相の分析から古典エッセイまで多数。

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