2019.2.10
“日大藤沢100カ条”で成長した館山昌平は、いかにして松坂大輔と戦ったのか!?

エース松坂大輔擁する横浜高校との初対決は、0-9の完敗……。
制球力を身につけていくとともに、TVK(テレビ神奈川)の高校野球チェックは欠かすことなく、いつもヒントを探していた。
参考になったのが桐蔭学園でピッチャーを務めていた浅井良(2001年に法政大学から自由獲得枠で阪神タイガース入団)だった。
「テレビの高校紹介で桐蔭のブルペンの様子が流れて、まっすぐの伸びが凄かった。ズドーンとくる感じで、そのイメージを持つために何度も何度も見返しました」
観察と努力によって館山は2年生の秋に、チームのエースとなる。もちろん、あの男のウワサは1年時から知っていた。だが「別世界の人間」という認識で、松坂のことを捉えていた。
館山と松坂が初めて投げ合ったのが、高校2年の秋季神奈川大会決勝であった。
館山は今なお、平塚球場でのファーストコンタクトの衝撃を忘れていない。
「速いじゃなく“怖い”でした。ストレートはホームベースに対してプレートから真っ直ぐに入ってくるイメージを持っていたんですけど、打席に入ると自分の背中のほうからナナメにドーンとくる。『えっ!? ここから来るのか!!』と驚きました」
なすすべもなく0-9の完敗に終わる。あまりの衝撃に、帰路のバスの中では誰も口を開くことができなかったほどだ。
2回目の対戦はすぐにやってくる。センバツ切符が懸かる1カ月後の秋季関東大会。再び決勝で顔を合わせ、試合は延長10回までもつれたものの1-2で敗れた。館山はリリーフとして10回途中から登板した。スクイズを決められたとはいえ、この1カ月間で最強の横浜高に肉薄したのだ。
100カ条の日大藤沢イズムが、ここでも活かされた。
「別に横浜高だからじゃなく、どのチームに対してもそうなんです。相手のウォーミングアップやキャッチボール、ノックとか練習を見て、どの選手がどうとか、情報を頭に詰め込みます。返球の精度なども全部。ニチフジは“強いから勝つ”じゃなくて“勝ったから強い”という考え方なんです。どんな相手だろうが、勝ってきょうも強いチームになろう、というのが浸透していました」
0-9の敗戦は、ボロボロになって負けたわけじゃない。情報を個々に頭に入れて、次の対戦で“勝ったから強い”を実行に移そうとした。その成果であった。
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