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二宮寿朗「1980年生まれ。戦い続けるアスリート」

“日大藤沢100カ条”で成長した館山昌平は、いかにして松坂大輔と戦ったのか!?

野球中継カメラの後ろからの投球フォームの映像を、高校時代からずっと観察してきた。(撮影/熊谷貫)
野球中継カメラの後ろからの投球フォームの映像を、高校時代からずっと観察してきた。(撮影/熊谷貫)

エース松坂大輔擁する横浜高校との初対決は、0-9の完敗……。

制球力を身につけていくとともに、TVK(テレビ神奈川)の高校野球チェックは欠かすことなく、いつもヒントを探していた。

参考になったのが桐蔭学園でピッチャーを務めていた浅井良(2001年に法政大学から自由獲得枠で阪神タイガース入団)だった。

「テレビの高校紹介で桐蔭のブルペンの様子が流れて、まっすぐの伸びが凄かった。ズドーンとくる感じで、そのイメージを持つために何度も何度も見返しました」

観察と努力によって館山は2年生の秋に、チームのエースとなる。もちろん、あの男のウワサは1年時から知っていた。だが「別世界の人間」という認識で、松坂のことを捉えていた。

館山と松坂が初めて投げ合ったのが、高校2年の秋季神奈川大会決勝であった。
館山は今なお、平塚球場でのファーストコンタクトの衝撃を忘れていない。

「速いじゃなく“怖い”でした。ストレートはホームベースに対してプレートから真っ直ぐに入ってくるイメージを持っていたんですけど、打席に入ると自分の背中のほうからナナメにドーンとくる。『えっ!? ここから来るのか!!』と驚きました」

なすすべもなく0-9の完敗に終わる。あまりの衝撃に、帰路のバスの中では誰も口を開くことができなかったほどだ。

2回目の対戦はすぐにやってくる。センバツ切符が懸かる1カ月後の秋季関東大会。再び決勝で顔を合わせ、試合は延長10回までもつれたものの1-2で敗れた。館山はリリーフとして10回途中から登板した。スクイズを決められたとはいえ、この1カ月間で最強の横浜高に肉薄したのだ。

100カ条の日大藤沢イズムが、ここでも活かされた。

「別に横浜高だからじゃなく、どのチームに対してもそうなんです。相手のウォーミングアップやキャッチボール、ノックとか練習を見て、どの選手がどうとか、情報を頭に詰め込みます。返球の精度なども全部。ニチフジは“強いから勝つ”じゃなくて“勝ったから強い”という考え方なんです。どんな相手だろうが、勝ってきょうも強いチームになろう、というのが浸透していました」

0-9の敗戦は、ボロボロになって負けたわけじゃない。情報を個々に頭に入れて、次の対戦で“勝ったから強い”を実行に移そうとした。その成果であった。

(次ページにつづく)

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二宮寿朗

にのみや・としお●スポーツライター。1972年、愛媛県生まれ。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社し、格闘技、ラグビー、ボクシング、サッカーなどを担当。退社後、文藝春秋「Number」の編集者を経て独立。様々な現場取材で培った観察眼と対象に迫る確かな筆致には定評がある。著書に「松田直樹を忘れない」(三栄書房)、「サッカー日本代表勝つ準備」(実業之日本社、北條聡氏との共著)、「中村俊輔 サッカー覚書」(文藝春秋、共著)など。現在、スポーツ報知にて「週刊文蹴」(毎週金曜日)、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」(不定期)を好評連載中。

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