2019.1.3
いい人は、どうでもいい人?〜2019年、あなたはどんな人になりますか?
かつて、驚愕したセリフがある。
「私、人からいい人と思われないことが1番のストレスなの」
いいことしたでしょ報告=いい人アピール=承認欲求
この方、仮にAさんとしますが、実際に周りの人から、いい人だよね、と言われているようでした。
ですが、私自身がAさんと交流を持つようになって抱いた最終的な印象は、「いい人と思われたい人に対してはいい人だけれども、それ以外の人、その思われたいリストから漏れている人間に対しては無造作対応」というものでした。
私自身はどうやらその思われなくてもいい人間リスト側に入っていたようだったので、Aさんが周りにとる言動と私に対するそれとのギャップに、しばしばびっくりしていたものです。

「こないだ○○さんに、タオル借りちゃったでしょ。だからお礼のお菓子を渡してきたんだけど、○○さん、今ダイエットしてるのに、どうしてお菓子にしちゃったのかしら〜、私ってダメね」
「こないだ、○○チームにすごくお世話になったから、今お菓子届けてきたの♪」
「今度のごはん会くるでしょう? ねえ、お店、決めてもらってもい〜い? 志沢さん、私なんかよりずっとおいしいお店知ってらっしゃるし(なぜか過剰な敬語)」
舌足らずな口調で、上目づかいでこうしたことを言ってくるAさん。
「そのとき、私も手袋貸しましたけど…こっちにはお礼、ないっすねえ」
「それ、100%仕事ですから、お礼のお菓子は不要だと思いますよ」
「そのごはん会、Aさん、言い出しっぺの幹事ですよね?」
私の回答、大人げないですか?ww
いや、なんかね、もう、あまりに周りに気遣うその姿と、こちらに向ける傍若無人な対応にイラっとしてたもんで…若気のいたりとお許しください。
今思えば、上の2つは褒めてほしかったんだと思う。
「大丈夫ですよ〜、ダイエット中でも○○さん甘いもの好きですから、きっとうれしいですよ!」
「さすがAさん! さすがのお気遣いですね!」
とか、きっと言って欲しかったんだろうなあ。
いいことしてるでしょ!的アピールだったんだろうなあ。
今でいう承認欲求か。
最後のやつも、いい人全開で幹事引き受けちゃって、お店のアテもなくて、めんどくさくなってこっちにキラーパス。ほら、オイラはいい人と思われなくてもいいリスト側だから。
でも、当時イラついていたそれもこれも、ある時ふと彼女の口から出た冒頭のセリフを聞いて、なるほど〜、とすべて合点がいったわけです。
多分、この人の本来持っている性質には、いい人の要素もあったのだろうけど、めんどくさがり、とか、苦手なことは後か他所にまわす、というものも絶対にあったんだと思う。
でもそれをひた隠しにして、いい人を演じてた。
そりゃ疲れるし、ほころびも出るだろ。
ちょっと気を抜いたときには本来持っている性分がダダ漏れになってしまうのもしょうがない。
だいたい人間、四六時中どんな状況でもいい人でなんて、そうそういられるものじゃない。
なかには本来持っている性質がとびきり優しかったり、思いやり深かったりする人もいるでしょう。
でも、そういう人は、いい人、優しい人、と周囲に認識されながらも「あの人、優柔不断だよね」とか「八方美人だよね」と言われてしまったりもするもの。
実際、そんなつもりはないのに、そう言われてしまうことで悩んでいた人も知っています。
人間関係、そんなに簡単なもんじゃない。
いい人と称されることは、本当にうれしいこと?
だけど、そもそも”いい人”とレッテルを貼られることは、そんなに素晴らしいことなのでしょうか。
かつてMOREと言う女性誌編集部にいたときに、組む特集ごとに読者アンケートをとることがよくありました。今のようにネットがバリバリ普及しておりませんでしたので、多数の意見を集めるのはなかなか大変だった時代です。
その時に「言われてうれしい褒め言葉」というアンケート質問を実施したのですが、当然というか、やはりというか、1位の回答は「かわいいね」でした。
そりゃそうだ。言われたらうれしいわ。大事なオンナ心だ。
ですが、2位がちょっと意外でした。
「感じいいね」
うーん、これにはちょっと驚きました。
もしも誰かが「志沢さんってどんな人?」と第三者にたずねて、その人が私のことを「志沢さん? ああ、感じいい人だよ」と答えたら、結構どうでもいい感を、私は感じてしまうのです。
ほんの少し投げやりというか無関心の要素も感じるというか。
これ、褒め言葉なのかもしれないけど、なんとなくビミョーにうれしくない…かな。贅沢いっちゃあ、いけないなw
あの人はいい人だよ、と言われるのはもう少し心が入っているような気もしますが、なんとなくパーソナルなことを言われているのとは違うのかな、という気も少々してしまうのです。
ちょっといい感じ、くらいが自分にも他人も心地よかったり
人間、いろいろな人生があって、仕事をしたり家庭を持ったり子育てしたりしていると、365日360度いい人でいるなんてことは、絶対に無理。
それを遂行しようとすると自分へのストレスになるか、もしくはどこかで齟齬が生じておかしなことになってしまう。
時には憎まれることを承知で、部下を指導したり、子供を叱ったり、友達に苦言を呈したり…。
すごく言いにくいことってありますよね?
お箸の持ち方が変。
食べ方が汚い。
鼻毛がいつも出てる。
体臭口臭がキツイ。
姿勢が悪い。
これ、どうでもいい人のことだったら、きっと指摘しないでしょう?
こんなこと注意して、その人との関係が気まずくなったり、下手したら遺恨を残すことにでもなるより、ちょっと見ないふり、気づかないふりをするほうが全然ラク。
でも、これが自分にとって大切な人のことだったら?
例えば配偶者、恋人、子供、親友。
指摘するのが愛、ってもんですよね。
そりゃ、言いにくいけど…私は言ったことがある。幸い感謝もされた。
ものすごーーく勇気と気遣いが必要だったけど、そうしたことを見逃すストレスより、指摘するストレスをとった。
自分が気になるんだから、当然まわりも気づいてる。
鉄は熱いうちに打て、だ。
ただし、本当に近しい人限定だからできること。
そして、このときの自分は真の意味でいい人だったと思う。

かつてインタビューした大先輩にあたる年代の女優さんがおっしゃっていました。
「MOREの読者って、感じいい人、って言われたいの?
でも、いい人はどうでもいい人でもあるのよ」
この部分を活字にすることはなかったけれど、当時の私の胸には深く刻まれました。
あの人、いい人だよね、って言われることが必ずしも悪いわけじゃない。
いい人でいようとすることが悪いわけでもない。
でも、そうすることが自分の負担になったり、毒にも薬にもならない八方美人となるのはちょっと違う。
自分にとっても他人にとっても「ちょっといい感じ」、ぐらいが実はちょうどよかったりするんじゃないかな。
そんなもんでじゅうぶん、人はいい気分になれる。
あと、もうひとつの目安に、自分がしてもらってうれしかったことは記憶しておいていつか実践しよう、ぐらいでもいい。
自分、20代で初めて仕事で徹夜したときに、黙って待っててくれてそのまま焼肉連れてってくれた先輩のことは今も忘れてないです。同じことを後輩にもしましたよ〜、Sパイセン!
ともすれば人間関係もヴァーチャルに展開されがちな今、互いの本音を共有しづらくなっているのも事実。
だからこそ、どうでもいい人ではない、いい人、自分にとっても納得のいくいい人であれたらいい。
年の初めに、そんなことを思いました。
本年もよみタイともども、どうぞよろしくお願い申し上げます。
ところで、私が人から言われてうれしくなっちゃう批評は
「志沢さん? おもしろい人だよ」です。
今年もがんばろ。